広報チームより「全員参加!毎日ブログ投稿企画」の執筆依頼が来た。
(今イベ博DAYSの準備でメッチャ忙しいけどね!)
bravesoftのカルチャーを語ってほしいとのこと。
ベンチャーを創業し成長させる道程には、ちょっと変わった体験談がいくつもある。
それをシェアするのも面白いかもということで、braver列伝を書くことにした。
bravesoftの歴史とは、社会の路地裏で狂い咲く雑草キャラクター達の歴史である。
<<< 社員1号はアル中エンジニア!?「ナベちゃん(仮称)」の記憶 >>>
ナベちゃんはウツだった。そしてアル中だった。
性格は極めて温厚。お酒を飲むと少しだけ攻撃的になる。
そして次の日に会社に来ることはあまり期待できない。
僕だけに理由を話した。幼少期にひどいイジメにあったとか。
ストレスフルなことが起きるとついお酒に手を出しちゃうのだ。
出会ったのは大学生の頃。同じ情報科学部でプログラムもソコソコできた。
大学では特に目立たずフラフラと日常をやり過ごしていた。
学業に身も入らず、なんとなく留年していた。
そんなナベちゃんが一念発起した。
僕らが卒業後すぐに起業した「(有)ジオマックス」に応募してきたのだ。
ナベちゃんは僕に半端なくナツイた。ほぼ毎日を一緒に過ごし、
プログラミングを教えてあげたり、Webの未来を語ったりした。
完全なる師弟関係。メキメキ技術力も伸びてきた。
「隊長(って呼ばれてた)の技術力は別次元す!地獄の果てまでついていきやす!」
お調子者でピュアなキャラクター。周りからもイジられたり人気者だった。
ジオマックス。それは新卒役員3名と、留年組バイト達で構成された弱小ベンチャー。
キツイ案件でも積極受注。トラブルだらけの毎日を過ごしていた。
でも若かったし仲間だったから、何が起きてもサイコーだった。
(そんな気分は今でも続いている笑)
ナベちゃんはちょくちょく失踪した。その度に住んでいる駒込付近を捜索した。
「小綺麗なスナックがあったから写真送ります」みたいなメールを送ると返事がきた。
公園で一人飲んでたり、住宅街でしなびてたり。手のかかる弟子だった。
ナベちゃんはいつでもヘコたれながら、なんとか生きようとしていた。
・・・・・
起業から1年経過した頃。価値観の違いから僕はジオマックスを去ることにした。
(この話はまた別の機会に)
そして、僕なりの理想を追求するためにbravesoftを起ち上げることにしたのだ。
当然のように、弟子のなべちゃんは僕についてきた。
大学もやめてフルコミットするとのこと。とにかくやる気満々の1号社員である。
「お酒をやめます」
ナベちゃんは宣言した。
大学留年組の友人も続々と参加してくれて、気づけば6人ぐらいでのスタートとなった。
戦争のような日々が始まった。激しいけど愉快な日々を走り出したのだった。
・・・・・
それから1年ぐらい経過した頃。一転してbravesoftには不協和音が流れていた。
資金繰りも厳しく炎上続きでピリピリしてる社長。少しずつ心が離れていく社員。
今となってはよく聞く話だけど、まだ20代前半で知識も無く視野も狭かった。
初年度の売上は3000万を超え新入社員も採用し、念願だった1000万円の融資がおりた。手応えと責任に身震いした。でも、僕の気づかないうちに、組織は限界を迎えていたのだ。
「こんな会社やめてやる」
ある日、全社員にナベちゃんからこんなメールが届いた。
禁酒は1年と持たなかった。彼は泥酔し昏睡し発狂していた。
ナベちゃんを責めることは出来ない。
彼はその不協和音が一番強く聞こえてしまうセンサーを搭載しているのだ。
いずれ破裂するはずだった風船の、一番薄い部分がナベちゃんだったに過ぎない。
急いで慶応大学三田キャンパス横にあるナベちゃんのマンションに向かう。
よれよれで酒臭いナベちゃんが出てくる。目の焦点は合っていない。
それからナベちゃんの母親、そして創業メンバーともいろいろと話し合った。お互いに悪いところがあった。仕切り直そう。あの頃に戻ってやりなおそうよと。
「もう絶対にお酒はやめます」
ナベちゃんは再び宣言した。
とにもかくにも仕切り直すことにした。話せばわかる。もともと皆友達だ。
ナベちゃんは絶対にお酒をやめると言っている。我々も改めて初心に帰ろうよと。
全員でそんな話をして、再スタートを切ることにした。
それでも。。目の前の案件は炎上続き。僕は営業で外出続き。資金繰りは緊急事態続き。たまに会社に戻ると週末のパチンコや夜遊びの話で盛り上がっている。意識の差は埋められそうにない。急に連絡が取れなくなる新入社員がいる。朝もちゃんと集まらない。
やっぱり根本的に何かが難しかった。
僕も含めそれぞれに子供であり、学生サークルのノリを超えられなかったのだ。
「こんな会社やめてやる」
それが終わりの合図だった。
ナベちゃんはまたすぐにアル中を再開した。
僕にはこの状況を改善できなかった。誰もがこのまま続けることは難しいと感じた。
それからの詳しい経緯はあまり覚えていない。結局はナベちゃんも創業メンバーの友達も全員が辞めることになった。僕は窮地に追い込まれた。ドキドキしながらようやく借りることができた初融資の1000万円もあっという間に失った。そこから3年は本当に生きるか死ぬかの毎日だった。
今思えば若いうちに大きな失敗を経験してよかったと思う。卒業してすぐ起業したジオマックスを1年で辞める失態、そこから起業して1年後にまた大きく失敗したのだ。2回の大きな失敗は自信過剰な僕にこそ問題があるのだと思い知らされた。他者について真摯に考える思考を得た。ジョブズじゃないけど今思えば最良の出来事だったと思う。
誰もいない路地裏となった2年目のbravesoft。それでも救いの手もあった。その直後に入社したメンバーは今でもチーフをやってたり子会社社長になっていたりする。あれから15年。10億以上の資金調達をしたり、1億DLを超える実績を創ったり、グッドデザイン賞や経産省大臣賞をもらったり、いろいろなトラックレコードを積み上げてきた。
あの頃には考えられなかったほど大きな仕事をしている。なにもかもが変わった。
もはやあの頃の創業メンバー達の面影は、何ひとつ残されてはいない。
・・・と、思うでしょう?
実は今でもbravesoftに1つだけ残っているナベちゃんの足跡がある。
これは今まで誰にも言ってこなかったことだ。
あれは創業当時のこと・・
「隊長〜!遂にうちもネット開通しやした!! Wifiパスワード何にします?」
「うーんそんなのなんでもいいよ適当に決めといて」
「わかりやした。じゃあ”bravesoftnabe”ってしときますヨ!うふふ」
「おまえエゴ丸出しやな!笑」
・・・その後10年に渡り、このパスワードは社内Wifiに使われ続けた。そして、今でもこの文字の面影はなんとなく残っている。ナベちゃんのことは誰にも話してないから、これは奇跡と言っていい。
・・・・・
これから先もこの足跡が残り続けるかどうか、それは僕にもわからない。
あの頃のメンバーが今どこにいて、何をしているのか、それもわからない。
VUCAの時代。あらゆるものが変わる時代。
すべてが移り変わる中では逆に、ずっと変わらないものの価値もあるはずだ。
あのときの情景、挑戦のワクワク感、純粋ゆえに衝突し、最後は笑い合う。丸裸の関係。まだ何も持ってはいない。あるのは体力、希望、根拠なき自信。ほんの少しのお金と勇気。ひたむきに生きる以外になにもなかったあの頃。
多くの人にとってはそれは若い時代の昔話で、セピア色の想い出であろう。
青春というフォルダにしまっておいて、たまに読み返したりするアルバムだ。
でも、
僕は今日でも、そんな毎日を、あの時と変わることなく戦い続けている。
あれから15年間経過したけど、変わらぬ希望の火を燃やし続けている。
それこそが、僕の最高のトラックレコードだ。
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あの頃の自分に誇れるように。ナベちゃんの自慢話にもなれるように。
これからも大きく挑戦していこうと思います。
ということでbraverの皆さん、一緒に頑張ろう!!!!!
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追伸:
ナベちゃん、そろそろ連絡待ってるヨ!