Alexaスキル開発の流れがサクッと分かる20の知識 #15

ホンネトークっていうAlexaスキルをつくったよ

最近Alexaがアツい。

新しい技術を知りたかったら、なにかつくってみるのが一番。ということでGWの石垣島休暇中に試しに「ホンネトーク」っていうスキルをつくってみた。Amazon Echo Dotは、小さくて6000円というお手頃価格。GW最終日に審査提出して2週間後の5/21にリリース完了。

(リリースから1週間ぐらいで30人ほどのユーザが使ってくれた。感謝!)

Alexa開発のだいたいの流れを理解したので、Alexaスキルの開発からリリースまでの流れがサクッと分かる20の知識をまとめてみた。意外と簡単なので、ぜひ挑戦してみて欲しい。
(ホンネ:Alexaユーザがもっと増えて欲しい笑)

ちなみに、ホンネトークってどういうスキル?

ホンネトークは、単にAlexaに向かって自分の本音をささやくと、いい感じにコメントをつぶやいてくれるストレス解消系スキル。うちの会社(=bravesoft)でやっているHONNEっていうアプリに集まってくる数百万件の本音つぶやきデータがベースになっているので、妙にリアルなコメントが返えってきたりして面白い笑。
(smartio.lifeさんが紹介記事にしてくれた・・!)



(クリックでAlexaスキルストアに移動)

 

Alexaの端末を持っている人は「アレクサ、ホンネトークをはじめて」と言うだけで、特にインストールなども不要ですぐ遊べるので、ぜひお試しを。

それでは、Alexaスキル開発の流れを説明していこう。

①まず、Google HomeよりもAlexaを選択

今回いちおうGoogle Homeも検討してみたところ、Alexaのほうが良さそうな感じ。

★Alexaのシェアが7割 (2018年1月時点)

 
ちなみに、北米だけでもスマートスピーカーは3500万人に普及していて毎月200万台ぐらい売れている。日本ではまだピンと来ていない人が多いけど、爆発的ヒット中だ。
 

★スキルの数もAlexaが10倍以上 (2018年1月時点)

※ちなみにGoogle Homeではスキルじゃなくてアプリって言う。

 

★Alexaのほうが2年も早く発売していた。この差は大きい。

会社 製品 発売
Amazon Alexa 2014/11
Google Google Home 2016/11
Apple HomePad 2018/2

※HomePadは今のところ第三者がアプリを作れない

それと、理屈では言えないけど、商品自体にしても開発環境にしても、なんとなくAlexaのほうが洗練されてて使いやすい感じ。

このまま行けばAlexaの圧勝となりそうなところだが、最近はGoogle Homeのほうが販売ペースが逆転したというニュースもあり、先のことはよくわからない。
(家電量販店などはAmazonがライバルだからGoogle Homeを積極的に売っているのかも)

CNET Japanの記事:「Google Home」が「Amazon Echo」を抜き初の首位

また、スマートスピーカーだけでの勝負というよりAndroidやiPhone、AirPodsなどいろいろ連携したp、一概にAlexaの圧勝が続くと断言できないところが面白いところ。

まさに、スマートフォンにおけるiPhone vs Androidのような関係性になりそう。

いずれにせよ、今どちらかを選ぶとしたら、「Alexa」。

※以降の話題はAlexaのみ。

②マネタイズができない・・!

すでに日本でも、数百のスキルがリリースされているけど、残念ながら今のところ課金や広告で稼ぐことは一切できない(@2018/5時点の日本)。いま日本でスキルをリリースしている人は、趣味や実験、未来への投資が目的。

それがつい最近、2018年5月に、北米でアプリ内課金や月額課金が開始。それ以外のマネタイズ手法としては、Amazonが提供するリワード、あるいは、小売や有償サービスなどに対してAmazon Payでの支払いがある。

Amazonによるリワードはおもしろいシステムで、毎月よく使われているスキルをAmazonが集計して人気度に応じて報酬を払ってくれるというもの。ちょっとネットで調べたら、アメリカの個人プログラマーが月に数十万円の報酬を貰えている事例があるようだ。

(リワードも日本は未対応。米,英,独のみ。2018年中には日本でも開始予定とのこと)

広告に関しては、アドネットワーク的なものはNG、自社のコンテンツや、例えば再生中のラジオの中で広告が流れるみたいな感じならOK。ということは実質的にスマホのような広告売上はNG(まあ、Echoで広告音声が長々と流れるとユーザ体験も良くないかも)。

③1週間あればスキルはつくれる

Alexaの開発環境や公式ドキュメントやネットの解説記事など充実していたのもあって、ホンネトークは開発開始から審査提出まで60時間程度で完了した。

スマホアプリの開発に比べると音声UI(=VUI)は、入力も出力もシンプルなため、簡素な設計になる傾向があって、そもそもあまり開発規模が大きくならない。そもそも複雑すぎると口と耳だけに頼っているユーザもついてこれない。

(もちろん、AIを便利にする方向での研究・開発は膨大な時間がかかる)

④Alexa対応デバイスは100種類以上もある

AlexaといえばデバイスはAmazon EchoやEcho Dotsだが、実はたくさんのデバイスに対応している。Alexaの主要な処理はクラウド上でされるので音声の入出力を担当するAlexaのSDK (AndroidやiOSに対応)を搭載するだけですぐにAlexa搭載デバイスが出来上がるのだ。2018年5月現在、Wikipediaで確認するだけで100以上の対応デバイスが存在している。

最近、トヨタも2018年中に自動車へ搭載することを発表していたりと、続々と対応デバイスが増えている。個人的にはAirPodsが進化してAlexaが呼び出せるようになったら面白いなと思う。

⑤Alexaスキルの開発環境が便利!

Alexaのスキルの開発やデバッグはWEBサイトの「Alexaコンソール」からできる。これがとっても便利。UI/UXが直感的に使いやすくて、すぐにスイスイ使えるようになる。



(Alexaコンソール画面)

AppleよりWEBが上手で、Googleより顧客志向な、Amazonの強みがしっかりと発揮されている。

⑥サーバ環境はAWSのLambdaでカンタン

Alexaスキルの開発には基本的にサーバが必要。サーバはLambdaっていうAWSの1サービスを使う。そして開発言語はNode.js。サーバについても開発言語についても他の選択肢もあるけど、この推奨環境がやっぱり簡単で参照できるドキュメントも多いのでオススメ。



(システム構成図。一番右が自分で用意したサーバ)

Lambdaっていうのはカンタンに言うと簡易WEBサーバ環境っていう感じで、管理画面で簡単な設定&プログラムの入力だけで、すぐにWEBサービスがつくれてお手軽。自分でサーバをセットアップする手間が省けるし、開発に便利な機能がいろいろついている。



(AWS Lambdaの管理画面)


デバイス(Echo)もサーバ(AWS)もAmazonということで、連携もカンタンだし問題も起きにくい感じ。このあたりAppleに近いものを感じる。

⑦Echo実機での動作確認まで一瞬!

自分のAmazonアカウントでEchoを設定してAlexaコンソールでサンプルの会話を設定したら、そのままEcho実機でその会話が実演できた。実機での動作確認までハヤい!(1,2時間)

今までいろいろなデバイスで開発してきたけど、これほど実機での動作確認がサクッとできるのは新しい。その理由は、Amazonのアカウントで何から何まで統一管理しているのと、クラウドベースなので実機にプログラムを転送したりなどの手間が無いからだ。(たとえばスマホの場合は証明書がどうしたとかアプリを実機用にビルドして転送とか、いろいろ面倒。)

⑧Alexa Skill Kit in Node.jsでお手軽プログラミング

Alexa Skill KitとはAlexaとの通信処理をやってくれるSDKのこと。(開発言語はNode.js、Java、Python、C#、GOなどから選べる)

一番良く使われているのはNode.jsで、特に理由がなければNode.jsがオススメ。Node.jsの特徴を超カンタンに言うと、「javascriptでお手軽に書けて、大量アクセスに強い」っていう感じ。javascriptはJavaやPHPなどの言語の経験があれば習得はカンタン。

ちなみにAlexaの公式ドキュメントも丁寧で充実している。



ソースの雰囲気はこういう感じ

⑨ビルド&デプロイがちょっと面倒

Alexaの開発環境は使いやすいけど、唯一ちょっと残念だったのがLambdaへのビルドとデプロイの方法。これはAlexaというよりLambdaの問題だけど、開発プロジェクトが10MBを超えたら、ローカル環境でzip圧縮→一括アップロードの必要あり。そのためソース編集→ビルド→アップ→動作検証まで、回線が遅い離島でやったら1分程度、東京でやったら10秒程度かかってしまう。そのうちファイルが大きくとも管理画面でプログラム入力できるようになるはずなので期待。



ローカルのMACからshellでデプロイ

⑩7秒タイムアウトルールに注意

気をつけたいのが、7秒タイムアウトルールだ。alexaからlambdaに問い合わせがあって、7秒間以内に応答をしないと、強制タイムアウトでエラーになってしまう。そのためにLambda側でもタイムアウトの設定で7秒にして、処理に時間を書けないようにする。



Lambdaでタイムアウト7秒に設定

たしかにユーザ側も7秒も待たされたらイライラするだろう。このあたり音声UI(=VUI)アプリの新鮮なところ。

⑪審査提出!これもらくらく

開発&テストが一段落したところで審査提出。入力する内容もスマホの時と似ていて一般的なもの。簡単に答えていたらあっという間に審査に提出することができた。手軽!



Alexaコンソールから審査提出

⑫スキルの呼び出し名が超重要。早い者勝ち!

スキル開発においてとても重要なポイントがスキルの呼び出し名。
“アレクサ 「ホンネトーク」 を開始して” の「ホンネトーク」にあたるところ。

このワードは重複が許されないので、いかに早い者勝ちで、覚えやすい一般的な単語を登録できるかが勝負。呼び出し名は2つ以上の単語を含む必要があって、もちろん商標にも抵触しないようなど最低限のルールはあるけど、割と自由に決められる。たとえば「引越し見積」とか、「お部屋探し」とか、分かりやすい呼び出し名は早い者勝ちの取り合いだと思うので、ドメイン名の争奪合戦&売買マーケットのような感じになるかもしれない。

⑬ストアでの設定項目はスマホアプリと似てる。

ストアで設定するのは、だいたい下記の項目

タイトル
アイコン
スキル説明
カテゴリ
キーワード(検索用)
チェックリスト(子供向け?広告?とか)
テスト手順説明
対象国
公開範囲(特定企業にだけ公開など)



ストア設定入力の画面

⑭審査ガイドラインもAppStoreと似てる

審査のガイドラインについても分かりやすいドキュメントが用意されている。AppStoreのガイドラインに似ているのでiPhoneアプリでリリースできそうなものはAlexaスキルとしてリリースできると考えて良さそう。



審査ガイドラインのドキュメント

⑮審査は早い!そして落ちた笑

審査提出!すると、24時間以内に結果メールが届いた。速い!
(Appleは審査に3週間もかかっていた時代があった)



リジェクトメールの抜粋

リジェクト理由を簡単にまとめると、、

1.ストアの説明文にAIが答えると書いてあるがこれがAlexaのことと誤解されるのでNG
2.ストアの説明文に商標違反の懸念があるのでNG
3.ストアの説明文に誤字があるのでNG
4.とある状況下で「ストップ」と言っても終了しないバグ
5.「やめて」と言ったときに、動作に統一感が無いバグ
6.スキルの回答に、顔文字があると正しく読まれないのでNG
7.スキルの回答に、芸能人など肖像権侵害があるのでNG
8.呼び出し名が、〜したいなどとルール外なのでNG

などなどだった。かなり丁寧に見ている印象。何度かのリジェクトを経てリリースに至ったが、提出から1〜2営業日後に審査結果が届くのでテンポは良かった。

⑯ついにリリース!

審査結果を待っていたところ、

「件名:Alexaスキル ホンネトーク 〜誰にも言えない本音が言える〜 が公開されました!」

のメールが届く。やった!

この瞬間から世界中のAlexa端末(と言っても日本語だけだけど)で、特にインストールなど必要なく自分が作ったスキルが使ってもらえるようになる。

日常業務の合間で忙しかったのもあり、最初の審査提出からリリースまで2週間もかかってしまった。(と言っても、細かい点でのリジェクトが多かったのでフルで対応してても1週間強は必要だった)



Alexaスキルストアにリリースされた

ちなみに2018/5時点でライフスタイルのスピリチュアルカテゴリには 6件しかスキルがない

⑰レポートも見やすい!

Alexaコンソールには見やすいレポート機能もある。



Alexaコンソールのレポート画面

確認できる内容は主に下記の通り。

●ユニークユーザ数
 →利用した人数

●セッション数
 →スキル起動された回数

●発話数
 →スキル内の機能の利用回数

●インテント数
 →機能別の利用回数

●リテンション率
 →リピート起動数

⑱所感1:ユーザーはなにも見えなくて不安

今回はじめて対話型(VUI)プログラムをつくったけど、チャットボットとも違って目に見えない声だけのやりとりなだけに、一瞬スピーカー側が何を入ったか聞き取れないこともあれば、ユーザが話した言葉が正確に伝わっていないときもある。ユーザを不安にさせたくないので、できるだけ詳しく今の状況を説明したいけど、ながながと話しているとユーザにストレスを与えてしまったりもあるので、このあたりちょうどよいバランス感でコミュニケーションを設計する必要があって、これまでのGUIとは違った思想が必要で面白い。

⑲ 所感2:文系的な会話のセンスが大事

たとえばPCアプリ→スマホアプリに時代が写っていった時に、画面が小さくて情報量が限られる分、いかに直感的に使えるGUIを設計するかがアプリの成否を左右するほど重要になったけど、VUIとなると更にシンプル化が進んだ感じで、情報が少ない分、ひとつひとつの情報配置のセンスが問われてくる。

例えば、

「それではホンネを言ってください、ではどうぞ」

よりも

「よかったら聞かせてください。誰にも言えないホンネはなんですか?」

と聞いたほうが、より自然な回答が返ってくるだろう。

これからは、「目で見て直感的に」の時代から「耳で聞いて自然に」の時代に移り変わっていくかも知れない。そしてそれはより人に優しくなる方向だ。

エンジニアは技術だけじゃなく、シナリオライターのような文系的な会話のセンスや想像力が求められる。

⑳最後に:スマホ登場期のようなワクワク感!

まったく新しいデバイス、UI思想、生活へのインパクト、続々と参戦する個人法人、そこから生まれるニュースター。

そう、Alexaはまさに新しい時代のドアを開いた新デバイスだ。スマホ登場期のあの頃のようなビックウェーブがまたやってくるかも知れない。

もちろん、本当に便利になって生活に浸透するにはまだ時間もかかりそうだし、最終的にどこまで普及するかは未知数なところもある。それでも、「新しい面白いデバイス」であることは間違いない。

まだ先が読めない今が参入のチャンス。ということで、迷ったら挑戦!

純粋な天才・宮崎駿がうまれた瞬間 (「出発点 1979〜1996」宮崎駿著を読んで) #14

いまから15年前、大学生のころ、僕はスタジオジブリの近所に住んでいた。

距離にしてわずか100mだったので、毎日のようにジブリの横を歩いていた。その頃のジブリの知識はごくごく一般的なレベルで、あぁあのトトロの会社がここなんだぐらいの感じで宮崎駿という人物もあまり深く知らなかった。

なんとなく記憶にのこっているエピソードもある。とある静寂の朝、ジブリの横を通ったら斧でマキ割りをしている白髪のおじいさんと目があったことだ。この時代に東京でマキをわってるなんてちょっとヤバイ人に違いないと怖れるあまり全力で目をそらしてしまったが、想えばあれこそが宮崎駿だったのだ。
(そしてヤバイ人には違いなかった笑。)

その後、プログラミングを学び、「ものづくり」へ傾倒していく自分にとって、宮崎駿という偉大なる天才への興味関心は深まるばかりだ。

そんな宮崎ウォッチャーの僕が手に取ったのが「出発点 1979〜1996」だ。宮崎駿の生い立ちやジブリ設立までの経緯、思想などが対談やエッセイなどリアルな資料として良くまとまっていて、まだ若かりしころの宮崎駿の等身大の苦悩や葛藤がありありと伝わってくる貴重な本だ。

宮崎駿はたくさんの矛盾にとらわれてきた。

たとえば幼少時代、実家は戦争のための航空機をつくっていて、戦争が始まった時に歓喜した父を彼は絶望的なまなざしで見つめていた。

それにもかかわらず、宮崎駿もまた兵器が大好きだという矛盾。
子供のために作品を作りながら自分は仕事人間でダメな父親だという矛盾。
自然愛好家で知られつつ自分だけは最後まで車に乗り続けたい矛盾
子供にアニメをあまり見せるべきではないと子供向けアニメを作る矛盾。
何度も引退宣言をしてはまた撤回して走り始めてしまう矛盾。

天才の等身大の矛盾そして苦闘を記録した本書から見えてくるのは、

「純粋で潔癖な理想主義者の苦悩」 と 「純粋におもしろいものをつくりたい欲望」

の激烈な葛藤こそが宮崎駿の奥深い世界観を構成してきたということだ。純粋ゆえに理想は高く、純粋ゆえに欲望にもさからえず、葛藤に苦しみながらも母親ゆずりの「まあそれが人間だし、仕方ないよ」という諦観でなんだかんだとつくり続けてきたのだった。

最後に、本書のなかでいちばん面白かったエピソードを紹介したい。

高校3年生の宮崎駿は、勤勉実直のまじめなタイプだったことへの反発心からか、意外にもシュールで暗い作品をつくっていた。そんな青春時代、彼はとあるアニメ映画に出会い、そしてそのヒロインに恋してしまったのだ。

彼はその作品を見て気づいた。

「ああ、これがつくりたかったんだ。オレは純粋にオモシロイものを作りたいんだ。」

その瞬間、彼は暗黒時代を終わらせ、純粋な作品を追求する今の宮崎駿が始まったのだ。

以下、本書より本人の談を引用する。

なぜ、そういう考えをもつようになったかといえば、私事になりますが、受験の暗ヤミの時期にちょうど劇画雑誌が出ていたことに端を発します。
そういった劇画雑誌には、世の中はうまくいかないものだということばかりを描いていた不遇の劇画家、特に大阪あたりに巣くっていた、巣くってなどと言うと大阪の人たちに申し訳ないですが(笑)、その彼らが恨みつらみを込めて描いているものですから、ハッピーエンドがひとつもないわけです。なるべく皮肉に終わろうとんするんですね。それが、暗ヤミの受験生にとって一種の爽快感になっていたんです。
で、その頃すでに絵を描くことで将来生きていこうと思っていましたから、そういう劇画の恨みツラミみたいなものを書こうとしていました。
(中略)
ちょうどその頃「白虎伝」を見たんです。見て一種のカルチャーショックを受けたんです。劇画に対する疑問がぼくの中に宿ってきたんです。「オレが、いま描いている劇画は、本当に自分がやりたいことなのか、本当はちがうのじゃないか」と思ったんです。もっと具体的に言えば、もっとすなおにいいものはいい、きれいなものはきれい、美しいものは美しい、と表現してもいいのではないかと思ったのです。」

(「出発点 1979〜1996」宮崎駿著 p80-81より引用)

ちょっと前に「ベーシックインカムの時代に黒澤監督と生きる #6」でも書いたけど、技術発展で社会が豊かになるにつれて「いきがい」を失いなんとなくの絶望感がただよう昨今において、

「ただおもしろいものをつくる。それでいいじゃないか人生は。」

という宮崎駿が悟った希望こそが、純粋理想主義で苦悩しがちな現代人を救うのかもしれない。

もやもやしてるんだったら、なにかつくってみたらどうでしょうか。

「頭が良いって何?」の答えは「抽象的思考力」 #13

頭が良いってなんだろう?

最近はAIブームもあって、「知能とは何か?」「頭が良いってどういうこと?」のような疑問が増えている。ちょっと哲学的な問いでもあるし、正解のない永遠のテーマのようで、勝手ながら僕の中ではひとつの結論がでたので説明してみたい。

「頭が良い」とはズバリ「抽象的思考力が高い」ってこと

これ以外の候補としては「記憶力」「計算力」「創造力」「言語力」などいろいろあるけど、「頭の良さ」と一番関係してるのは「抽象的思考力」。

抽象的思考力って?

ざっくり言うと「特徴をおおまかにとらえて把握する能力」。

たとえば、

▼具体的な対象物 ▼抽象化すると・・
柴犬のレオくん
チワワのココちゃん

ペットの犬


動物
4足歩行の哺乳類
足が速い動物

みたいな感じに、ものごとを抽象化して分類する能力のこと。

抽象的思考力があると何がいいの?

「頭が良い人=正しい判断ができる人」で、抽象的思考力が高い人ほど正しい判断ができる。

たとえば、

「柴犬のレオくんはビーフジャーキーを美味しく食べてた」

ことを知ったときに、

「きっと三毛猫のミーちゃんも好きなはずだ。おんなじ哺乳類で肉食だし」

のように、常にものごとを抽象的に把握しているから正しい判断ができやすい。

分かる=分類できるってこと

「分かる」っていうのはその名の通り「分けられる」「分類できる」ってことだ。スキー初心者にとっては「雪」は1種類しかないけど、プロには「パウダースノー」「アイスバーン」など10種類以上に区別できるらしい。分かっている人ほど細かく分類して最適な判断をくだせる。

分類する力は「仕事のうまさ」にも大きく影響している。

▼状況 ▼分かる人 ▼分からない人
営業 顧客課題を分析して豊富な知識から解決策を提案 一般的な提案しかできない
リーダー 部下の強みや状況を詳細に把握し的確に指示 誰にでも同じような指示
エンジニア 要件を分解して把握し部品を組み立てるように実装 よく考えず場当たり的に実装

抽象的思考力が高い人は複雑な状況でもちゃんと整理して的確な判断をくだす。

ところで「勉強ができる人」=「仕事ができる人」じゃない理由は、例えば数学なんかはすでに抽象化されたものを計算する能力(例えば「3つのりんご」も「3つの国」も同じ「3」に抽象化される)であって、抽象的思考力と直結していないケースが多いからだと思う。そしてIQテストはまさに、たとえば図形の共通点を見つけたりと抽象的思考力が重視されているように思える。

 

犬と鳥はどっちが頭が良い?

wikipediaの「知能」に書いてあるように、迷路をクリアするような課題で、犬は障害があっても遠回りしながらゴールにたどり着ける。しかし鳥は遠回りするという考え方が無いためにゴールできない。

両者の本質的な違いは、

いまの状況を一歩引いて考えられるかということ。

犬はおかれている状況を抽象化して客観的に考えて、遠回りしてみることを思いついたけど、鳥はただただこの具体的状況で本能的にゴールを目指すだけで、一歩引いて考えられてないのだ。動物についても抽象的思考力が頭の良さに関係している。

ピアジェによる幼児の研究

赤ちゃんは猿のような状態で生まれて、人類の進化をなぞるように成長していく。ということは、その様子を観察することで人類の「知能」がどのように発達してきたのか解明できるかもしれない。

そんな研究をしたのがピアジェという心理学者で、このように知能は進化するらしい。

幼児の年齢 知能レベル
0〜2歳 最初は自分と他人の区別もなく、目の前にあるものが存在しているという概念も分からないが、徐々にわかってくる
2〜7歳 目の前のものを単語で覚えたり分類できるようになる。まだ目の前に無いものについては考えられないが、徐々にわかってくる
7〜12歳 目の前にないものを考えられるようになり、数字の概念も理解し、計算や分類ができるようになる。ただし目に見えない概念はまだ理解できない
12歳〜 神や道徳・社会といった、目に見えない概念も考えられるように

こう見るとやっぱり知能の獲得とはつまり抽象的思考力の獲得といえるのではないか。もしかすると記憶力や計算力、創造力なんかは子供と大人でそこまで大きく変わらないかもしれないけど、抽象的思考力だけは、脳の成長に合わせて年々すこしずつ高まっていく。(ちなみにIQテストも年齢とともに点数が上がっていくことが知られている)

そういえば僕が小学校高学年になった頃から、急に「それって抽象的だよね、具体的にはどういうこと?」のような会話が増えてきて、「抽象的ってどういう意味?」と困った記憶がある。その頃はきっとまだ知能が未発達で抽象的という概念を理解できていなかったのだ・・笑。

 

プログラミングにも抽象化は大事

プログラミング手法として有名な「オブジェクト指向プログラミング」。抽象化はこれの大事な要素となっている。

抽象化っていうのは、

たとえばもしプログラミングで「犬」と「猫」を作ることになったとして

「犬」と「猫」は抽象化すると「動物」だから、

「動物」に共通の機能、(食べる、寝る、etc..)あたりは「動物」の処理として共通化しよう。
「犬」と「猫」で違う機能(遊ぶ、鳴く、etc..)あたりは個別に処理しよう。

のような感じで作っていくやり方のこと。そもそも処理の集まりを「動物」や「犬」のように、「オブジェクト=もの」として捉える発想が分かりやすいし、こうすることで複雑なシステムも考えやすくなる。コンピュータの専門家が試行錯誤して発明した手法が抽象化に関係しているのは偶然じゃなさそうだ。

 

機械学習がやっていることも抽象化

最近のAIブームは機械学習(ディープラーニング)の進歩によるところが大きい。

機械学習の仕組みをざっくり言うと、

①猫の写真を1,000枚集めて、特徴を学習しデータベース化しておく
②それをもとに新しい1枚の画像を見て猫かどうか判断する

っていうもので、この工程こそが、「猫の特徴を分析して抽象的概念として把握して分類できるようにする」つまり抽象的思考そのもの。

これはGoogleが発表した、大量の「猫」を学習した結果の画像、つまりは抽象的な「猫」の画像。ちょっと不気味だけど、たしかに「猫」って感じがする笑。

参考)Google、脳のシミュレーションで成果……猫を認識|RBB TODAY

 

頭の良さ、それは未来を見通せる力

社長に求められる究極の能力は「未来を見通す力」。そしてここでも抽象的思考力の出番となる。社会が今後どのように変化していくか想像するためにはかなりの抽象的思考力が求められる。未来が予測できる人こそ、本当に頭が良い人だ。

そういう人は例えば、

いまの日本は幕末期と近いから、維新はこういった形で表れるだろう

とか、

中国経済は急成長してて戦後日本と似ているけど、政治体制が違うからこうなりそうだ

みたいな抽象的なイメージを膨らませて、未来を見通すことができる。

 

さいごに:ジョブズは子供にiPhoneを与えず

そう、頭が良いとは抽象的思考力が高いということ。そして抽象的思考力を養うためには子供時代に「漫画」や「ゲーム」を消費することはオススメできないかも。漫画やゲームはすでに消費しやすいように適度に抽象化されているために、抽象的思考力を養う機会が少なくなってしまうからだ。

それよりは「自然とのふれあい」「人との対話」などなど、まだ整理されていない自然で複雑な体験をさせることがより大切に思える。自分の子供にiPhoneを与えなかったスティーブ・ジョブズの子育て法は、そのあたりを意識していたのかもしれない。

ということで、何かの参考になれば!

中国社員の結婚式に日本人社長が参加してきた話 #12

結婚式。それは人類共通のシアワセな儀式。民族の文化性がおおいに表出するが、異国の結婚式に参加する機会は少なく、謎に包まれている。そんな2016年末の折、四川省成都にて中国人社員の結婚式に参加させてもらう機会に恵まれたのでここで紹介したい。日本の結婚式と似ているところも結構あって興味深い。

招待状&記念サイト

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仕事中に不意に手渡してくれた招待状。律儀に日本語で書いてある。うれしい。ついでに結婚式特設サイトのURLをもらった。手が込んでいる。日本でも結婚式サイトが簡単に作れるサービスが出てきているが、このあたりは世界共通の新しい潮流かもしれない。

結婚式前日に新婦を迎えに行く

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結婚式の前日には新婦の実家に新郎が車で迎えに行くイベントがある。新婦の実家では新婦の友人達がいて、新郎のことを邪魔したりいたずらする。なんとも楽しそうなイベントだ笑。

※写真はこちらのブログ記事から引用させて頂いた。
阿艶の結婚式−4 新婦の実家にて

いざ当日!スーツは不要!?

いざ当日、四川省の大都市成都に到着。新郎の地元にある会場は成都からさらに1時間離れた田舎町。その前にスーツに着替えて出発。なるべく旅行の荷物を少なくしたいため、中国人の友人に「成都で結婚式に参加するので当日のジャケットだけ貸して!」とお願いしておいた。そして当日、彼がこころよく手渡してくれたのはこのジャケット・・。

wedding_jacket

これじゃない!もう時間もないので仕方がないのでそのまま私服で参加したが、実際は新郎以外でスーツを着ている人は誰もいなかった。こちらの結婚式ではスーツは着ないらしい。なるほど固定観念とはこういうことかと気づかされる。

ご祝儀を用意

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どうやら中国でもご祝儀は必要らしい。途中のコンビニによってご祝儀袋を調達。30円ほどで買えた。一緒に参加したAくんは600元(1万円程度)を包んだとのこと。金額は偶数のほうが良いらしい。中国の物価を考慮すると、相場感は日本とそう変わらないように感じる。人類共通の相場感があるのだろうか。おもしろい。

会場に到着!

wedding_parking

結婚式会場に到着。入り口にオシャレな看板がセットされていて気分が盛り上がる。会場に入ると300人ぐらいいた!中国の結婚式ではこれぐらいの人数が普通のようだ。ちなみに一緒に参加したAくんは、自分の結婚式のときは200万円以上かかったらしい。このあたりの相場感も日本と近いか、もしくはそれ以上かもしれない。

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着席したおなじみ中華式の円卓は、同じ会社のメンバーでしめられていた。懐かしい顔もちらほらで楽しい。そして新郎の趣味にともない会場には初音ミクの曲がかかっている。いいのか笑。会場に日本人は1人しかいない。異文化に溶け込めてシアワセな空間。

新郎新婦の入場!

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そして新郎新婦が入場してきた!ビシっとしたスーツとウェディングドレスで、西洋風。軽快な曲に合わせてロマンチックに入場してくる。会場は大盛り上がり。

乾杯、ご馳走に白酒

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乾杯の挨拶の後、いよいよ宴会が始まった。丸テーブルに次々に中華料理が運ばれてくる。中国では食べきれないほどたくさん置くのがおもてなしである。幾重にも重ねられた豪華な皿が食欲をそそる。その中にはなんと「亀」が!初めて食べたが美味しかった。お酒はもちろん白酒。白酒とは焼酎のようなもので40%を超えてくる強烈なお酒。白酒で乾杯をするのが中国流。新郎の父親がこちらに来てくれて白酒で乾杯したりした。こちらの乾杯は文字通り杯を空にするのが礼儀なので要注意。

wedding_baiju

そしてスピーチタイム

司会が盛り上げながら知人に次々にスピーチを依頼していく。日本式のような動画やダンスなどの凝った演出はないが、シンプルイズベスト。しっかりお祝いの気持ちが伝わってくる。僕も会社代表として勉強中の中国語で乾杯スピーチをさせてもらった。恐らく日本人を見るのも初めての人が多いなか、簡単な中国語を喋っただけでも大きな拍手をもらえた。

ちなみにこれがスピーチ文

◯原文

女士们,先生们,大家好。
我叫菅泽英司,从东京来。
我代表我们公司全体员工来参加洪小川先生的婚礼。
祝这对新人新婚幸福,白头到老。
并柷大家圣诞快乐!
请大家举起手中的酒杯。
干杯!

◯日本語訳

みなさんこんにちは。
菅澤英司と申します。東京から来ました。
今回、従業員を代表して川さんの結婚式に参加させて頂きました。
みなさん、二人の新婚の幸福をお祝いしましょう。末永い幸せを。
そしてついでにお祝いください。メリークリスマス!
それではお手元のグラスをお持ちください。
乾杯!

当日は偶然にもクリスマスの日だったので、クリスマスもお祝いしておいた笑。

最後に新郎スピーチ

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ひと通りのスピーチが終わり料理も食べ尽くしたところで、最後に新郎のスピーチ。会場の盛り上がりも最高潮。

退場中、盛大にお金を巻く!

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そして新郎新婦の退場。退場の途中でお年玉袋のようなものを新郎新婦が空高くばらまかれ、みんなで拾うコーナーがあった。楽しそうだ笑。ブーケトスのようなものか。中国ではお祝いに小銭を渡し合う風習が結構ある。そういえば新年のお祝いにwechatというLINEみたいなアプリで数十円もらったりしたこともある。

お色直し+各テーブルで記念撮影+お年玉

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退場後に新郎新婦が服装を変えて再登場。中華的な赤い服で可愛らしい。各テーブルを回って記念撮影。そして一人ひとりにお年玉を渡していく。意外に結構うれしい笑。

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全体的に日本よりもカジュアルな雰囲気でとても居心地がいい。そういえば日本の結婚式はやや形式的過ぎて、ちょっと堅苦しいところもある。一生に一回で失敗できず保守的になりがちだが、最近は新しいスタイルを提案するクレイジーウェディングという会社も出てきていて注目。

流れ解散!?

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記念撮影も終わり歓談しているうちに周りを見渡すと、周りのテーブルはもう帰っている。なるほど流れ解散か。ちょっと寂しい気もしつつ現地を跡に成都へ。良い一日だった。

まとめ:結婚式は面白い

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あっという間だったが良い結婚式だった。結婚式とは不思議なもので、国が決めた制度という訳でもないし、主導している機関がある訳でもないが、なんとなくのお約束がある。民族性がよく表れるし、それは参加してみないと分からない。そしてなぜかどの国もちょっと似ている。どちらかが真似をしたのだろうか?偶然の一致だろうか?数千キロ離れた異国の地で想像はふくらむ。時間があればじっくり研究してみたいところだ。いずれにせよ人類共通のシアワセなイベントで、合理化の時代にあっても大切にされ続けるだろう。異国の結婚式に参加する人がもっと増えるといいなと思いながら、もう数え切れないほど慣れ親しんだ成都の空港を飛び立った。

最後に、かわさん結婚おめでとう!

中国の成都に出来たリアルVRジェットコースターに乗ってみた (in 成都欢乐谷) #11

近年、ジワジワと拡がりを見せるVR、なんでもやってしまえ精神の中国では、実はかなりVRが街に浸透している。たとえばネットカフェのようなVRカフェが出来たり、観光スポットの一角にVRコーナーが設置されていたりする。

成都には子会社がある関係でよく訪れていて、つい最近(2016年)の年末に成都欢乐谷をブラブラしてみたら、急に目の前にリアルVRジェットコースター(以下VRコースター)が登場した。
ちなみに、リアルVRジェットコースターとは何かというと、VRヘッドセットを付けて、本物のジェットコースターに乗り込むというものだ(勝手に命名)。ジェットコースターはVRアプリの代表例とも言えるほどわかりやすい利用ケースだが、それを実際にジェットコースターに乗りながら体験することができるのは新しい。リアルVRジェットコースター。展開して読むとリアルバーチャルリアリティジェットコースターとなり、なんともややこしい。

成都の成都欢乐谷について

成都欢乐谷

成都で一番大きい遊園地。開園は1998年。敷地面積は50.7万m2(東京ドーム10個分)。
来場者数は1日1万人程度。すでに大きい遊園地であるが、まだ工事中で、更に新たなエリアが拡大する予定。行ったときは平日のためか結構空いていて、大抵の乗り物は並ばずに乗れた。最近そこまで流行ってるわけでも無さそうだ。ちなみに入場料は3000円程度だった。VRコースターは2016年秋に登場したらしい。

VRコースターを発見!

VRCoaster_find

ふと園内を歩いていたらこの通り異様な光景を目にした。ひと目で感じる違和感。これは乗ってみなくては!何が起こるかわからない、それが中国の醍醐味。

並ばずサクッと乗れた、そして準備体操

VRCoaster_prepare

VRコースターの入り口を見つけてズンズン進む。行列はまったくできていない。このジェットコースターはちょっと古くて地味な感じで、なるほどVRを付けることで何とか盛り上げようとしているのかも。乗り場付近で開始時間を待っていると、なんと準備体操が始まった。なんとも微笑ましい。コースターの前半分に乗る人はVR無しで、後半分に乗る人はVR有りのようだ。VR有り無しでまったく別の乗り物になる。人気は3:7ぐらいの割合でやっぱりVR席が人気だ。

いざVRヘッドセットを装着!

VRCoaster_setup

席に乗り込むと、係員が1人1人にヘッドセットを渡してくれた。中身はAndroid端末(Samsung Galaxy S7 Edge)とのこと。ひとりまたひとりと装着していきなんとも異様な集団が出来上がる。何とも言えないドキドキ感。

QRコードを認識して席の場所を把握

VRCoaster_QR

ヘッドセットを付けてみるとAndroid端末のカメラでQRコードを読む画面になっている。座席の前のところにQRが貼り付けてあり、すぐに読み込むことが出来た。これによって端末にどの場所に座っているかを教えて、自分の場所にあった映像が表示される。読み込んだらちょっと待ってね画面が表示される。以外なほどカンタンで迷うこと無くスタートできた。

いざ出発!

VRCoaster_start

ヘッドセットをしてみてまず率直な感想は、「何も見えなくて怖い!」。何しろジェットコースターというただでさえ危ないとされる乗り物に乗り込んでいて、更に目隠しをされた状態なので、映像どうこうは抜きにしても普通に怖い。さらに目の前にはVRで状況にあった映像が表示され、初めての体験でとても新鮮。まさに異世界に放り込まれたような感覚だ。

VR映像の内容は?

VRCoaster_stages

ジェットコースターが進むと違うステージに切り替わったりする。大きく分けると3つのステージに分かれていた

1:断崖絶壁の中を危なっかしく走るステージ
2:そこら中に火が吹いていて竜に襲われそうになるステージ
3:最後に穏やかな平野で桜が舞う感動的なラストステージ

それぞれ完全に3DCGで作り込まれており、まさにゲームの世界に入りこんだようだった。3Dデータ自体はそこまで高いクオリティではなかったが、これはVR端末の性能の限界もあるためだと思うので、今後ますます高クオリティになっていくはずだ。

乗ってみての感想

realVRCoaster

まだまだ改善の余地はあるものの、総合的には新しくて面白い体験!いままでのジェットコースターではありえないような場所へトリップできるのが面白い。アイディア次第でもっと面白く出来ると思われる。

改善したいポイント

いくつか改善したほうが良さそうなポイントをメモ。

★VR酔いが若干起きた
 →これは最新のPSVRやHTC Vive等でかなり解決しているので改善を期待できる。

★たまにちょっとフリーズする 
 →これも端末スペックを上げたり、高性能デバイスに変えれば改善可能

★コンテンツがちょっと地味
 →スペース空間を走るとか、上空1000mとか。もっと異次元を感じたい

まとめ

VRコースター。これは2017年ブレイクしそうな予感。狭くてゲーム開発に強い日本でこそ、大ブームの可能性を秘めていると思われる。特にショッピングモールなど屋内でのジェットコースターで導入すれば、施設が狭いという課題を感じないようにできるかもしれないし、定期的にVRコンテンツが入れ替えていけば、2回、3回と乗ってもらうことができるようになり、リピート率アップにも繋がりそうだ。

まだ十分なクオリティじゃなくてもとりあえずやってみちゃう中国人の姿勢は見習いたいところ。まだまだVRのクオリティが上がるには時間がかかりそうだが、その先にはそれこそ無限の仮想世界が広がっているように思える。

さあ、断食の旅に出よう #10

なんだかんだで飽食の時代だ。

連日の飲み会はご馳走に溢れ、生きるためというよりも、楽しむために食べている。

馬車馬のような食生活にちょっとした疲れを感じている人は少なくない。そんな人にぜひ試してほしいのが今回紹介する「断食」だ。最近では「ファスティング」なんて呼ばれたりしてちょっとしたブームになりつつある。

そして過剰摂取になっているのは食だけではない。僕らは知らず知らずのうちに「情報」も食べ過ぎてしまうために、ココロも疲労困憊気味である。そこで、ついでに都会から離れ自然の中で過ごして、溢れかえっている「情報」も断ってしまおう。

それが「断食の旅」だ。

どんな感じでやるのか

僕の場合は週末に3泊4日の「断食一人旅」に出かけることが多い。その3日間は一切食べない。金曜日は仕事があるので、断食しながら仕事して、金曜日の夜に旅に出かける。そして月曜は旅先から会社に出勤というスタイルだ。

旅の日程はこんな感じだ。

▼金曜日
いつも通り仕事をする。ただし何も食べない。なるべく早く仕事を切り上げ、自然豊かで夜遅くまでチェックイン可能な旅館で一泊

▼土曜日
自然を歩きながら考え事をしたり、本を読んだり。何も食べない。あまり疲れる行動は避け、のんびり過ごす。夜は山奥の静かな旅館で一泊

▼日曜日
土曜日と同様。翌朝は出勤なのでなるべく会社に近くて自然もある旅館を選ぶ。

▼月曜日
旅先から会社へ出勤。体重はだいたい2kg減。ココロもカラダもすっきり!

以前に書いたアジャイル旅行とも組み合わせて、このような「断食の旅」に2ヶ月に1度ぐらいは出かけている。

以下、ポイントをまとめてみた。

意外とつらくない

これが不思議に思うかもしれないが、食べたいけど必死に我慢して・・という局面はまったくない。旅館の部屋にあるお菓子さえまったく手を付けたいと感じない。最初から「食べない」と意思決定しておくと、食べたいという気持ちが沸き上がってこないものなのだ。その代わり体中がポカポカして、脂肪の燃焼が感じられる。これは感覚的な表現になるが、「自分を食べる」モードに切り替わっただけなので、お腹は空かない感じなのだ。(普段が食べ過ぎというのもあるかもしれない)

飲み物はたくさん飲む

コンビニで売っている野菜ジュースと調整豆乳を一本ずつ飲む。1日に必要な栄養が補給され、空腹感を抑える効果があるらしい。断食中は脂肪燃焼によって新陳代謝が活性化し、毒素の排出のために水分が必要となるらしく、かなり喉が渇くので、水分を取り続ける。1日2〜3リットル程度は飲んでいる。

食べたい気持ちはココロから

3日間食べなくても平気な経験をしてみると、逆に普段はなぜ空腹感を感じるのか不思議になってくる。「ストレス太り」という言葉もあるように、人は動物的本能から、ストレスや不安を感じると食欲が高まり、食欲を満たすと安心感を得られるようになっているらしい。そう、飽食の時代でもなお、もっともっと食べさせようとしてくるのは、カラダではなくココロの渇望なのだということが実感される。

意思決定からの開放

もうひとつ感じるのは、人はいかに「食べる」ということにココロを奪われているかということ。街を歩いているとき、コンビニに入ったとき、テレビを眺めているとき、絶え間なく流される食の情報に、「いつ食べようか、これを食べようか、いや他を食べようか、あとで食べようか、やっぱり辞めとこうか・・・」などど、無意識下で毎分のように意思決定を迫られているのだ。意思決定はストレスのもとである。「今日は食べない!」という意思決定をまずしてしまうことで、1日の意思決定回数は相当数省略され、ストレスフリーな一日を過ごすことができる。たとえば街を歩いている時、飲食関係のお店や広告が一切目に入らなくなったとしたら、そこに見える景色はまったく違うものになるだろう。

脂肪のような情報を断つ

ココロも減量させるために、出来る限り日常の情報に触れないようにする。自然豊かな場所にたった一人で出かけるのはそのためである。スマートフォンは使うものの、いつも使っているSNSや仕事アプリは目に入らない場所に移動させて、1日に数回しかチェックしないようにする。できるだけ日常の情報を断って、溢れかえっていた情報をココロから排出する(→忘れてしまう!)のである。2,3日情報を断ったとしても、本当に大切なものは残る。脂肪のような情報は排出され、骨や筋肉のような大事な情報が残り、スマートなココロになれる。

100円おにぎりに感動

空腹は最高の調味料という言葉もあるが、3日間なにも食べなかった後の100円おにぎりは表現できないほどに感動的な味わいだ。断食後の味覚は研ぎ澄まされており、ちょっとした味付けでもいつもの何倍も濃いと感じる。胃は縮小されているため、おにぎり1個でもお腹いっぱいになり、2,3日間は小食な状態が続く。長く生きていると食べるということに無頓着になってしまうものだが、3日断食しただけで「食」についていくつもの新しい発見が得られるのだ。

ココロもカラダも健康に

2大ストレス職業とも言える社長兼エンジニアである自分の重要なミッションは、常にココロもカラダも平静に保ち正しい判断ができるようにしておくことだと思う。えてして人間は他人の悩みを聞いているときは「なんでその程度のことでそんなに悩むんだろう」と感じたりするが、自分のこととなると「その程度のこと」でやっぱり悩みこんでしまう。それはきっと、絶え間なくココロに降りかかる不安やプレッシャーが、冷静な思考を奪ってしまい、客観的・合理的なジャッジができなくなってしまうためだろう。食もココロも負の無限ループから脱出して定期的にリセットしておくことで、ココロもカラダも健康に保っておくことはとても大切なことだ。

 

「断食の旅」、いかがだろうか? せっかく旅に出たのだから、現地の名産品を食べてみたくなるかもしれないが、日常から離れて何も食べずに2,3日過ごせる「贅沢」も、一度は味わってみてはいかがだろうか。きっと人生という旅を充実させるキッカケになるはずだ。また悩んでいたり疲れていたりする人は、大事な決断をする前に、騙されたと思って一度試してみることをお勧めしたい。いろいろな問題は意外と休むだけで解決してしまったりするものだ。

さあ、断食の旅にでよう。

ガンジス川で考えるカーストと日本 #9

暑苦しい・・!。

それがインドに感じた第一印象だった。

5月のインドは灼けるような暑さで、1分も歩けば滝のような汗がでる。エアコン付きの店も少なくて、仕方ないので日陰でぐったり風を待つ。

1分もそうしていると今度は決まって近づいてくるのが怪しいインド人。ハローフレンド!調子はどう?どこから来たの?何日いるの?どこのホテル?家族いるの?仕事は何?良かったらこの近くの俺の店に云々・・などとキャッチも多いが時にはただ好奇心で話しかけてくる普通の人もあるし、ある時はこちらからその辺のオジサンに話しかけたら、日本人に会えて嬉しくて大ハシャギで歌って踊りだしてしまうこともあった、インドとはまったく暑苦しくて愉快な国なのだ。

そんなインド人とたくさん話してみてひとつ発見したことがある。それは繰り出される質問ラッシュの結構早いタイミングで、「どこのホテル?」という質問が必ずと言っていいほど入ってくることだ。「家族いるの?」より早いくらいのタイミングで。

この質問は他の国ではあまり聞かれないし、聞かれたとしてもそんなに早いタイミングではないだろう。ここインドでは、怪しいキャッチも詐欺師ガイドもボート漕ぎの青年もボートで隣に座ったOLも汗だくで疲れたオジサンもBARで飲んでいた青年も、この質問を早いタイミングで出してくる。

どうでもいいだろう、、なんでそんなこと聞くんだろう?

ホテルまで来たり送迎してくれようとしてる?
 →ガイド等ならありえるが、すれ違いにちょっとだけ話す場合も聞いてくるのはおかしい

自分の家やホテルと近いと縁を感じるから?
 →しかし答えた後に特にリアクションもないのでそうでも無さそう。

単純にホテルが好きな国民性?
 →それにしては聞くタイミングが早いし、話も広がりがない感じがおかしい

いろいろと想像した結果、僕が結論づけたのはこうだ。

「ホテルのランクを確認することで、社会的地位の高さを知ろうとしているのではないか」

文章にするといやらしい感じだが、実際に聞かれてみても不快感も感じないし、だからこそ遠回しにこういう質問になっているのではないか。あくまでも推測ではあるが、もしそうだとしたら、この質問はインドにとっての社会的地位や身分の重要性を暗示しているといえるだろう。初対面の相手への質問はその人を構成する属性について重要な順でなされるものである。インド人にとって社会的地位というのはかなりの重要事項なのだ。

インドの身分制として悪名高きカースト制度。すでに50年以上前にインド憲法で明確に禁止されているが、数千年以上続いたとされるこの慣習はなかなか消えることのないまま現代まで生き残っている。(そもそもカースト制度とは社会的な慣習のことを指しており、そのような法律があったわけでもない。「カースト制度」という名前も外国人がつけたもの)。例えば列車席の等級も1A,2A,…と5段階以上に複雑に分かれており、暮らすエリアも貧困層と富裕層は明確に離れており、Airbnbで泊めてもらったインド人宅には召使がいた。社会的な地位が低い人々はほとんど教育を受けずに、スラムなどで1日100円未満の生活を続けている。

そういった貧しい人は実は夢や希望を持つことに否定的らしい。いままでどおりに親の代からの仕事を繰り返し、その日その日を楽しんで、ご飯にありつけるなら、そしてたまに祭りを楽しんだり映画でも見ていればそれでいいじゃないかという調子で、多くを求めずに、今を楽しもうよという考え方だ。この国ではたしかに貧しい人も楽しそうにしている。しかしそれでも、日本のことを詳しく質問してくるキラキラした目をみれば、やはり本当は希望に燃えて未知の世界を夢みたいのかもなとも感じる。希望を持つだけ無駄なので持たないようにしているだけなのかも知れない。

そんなことを考えさせてくれたのは、ガンジス川でたまたま乗ったボートの漕ぎ手の青年との会話だ。彼はインド人には珍しいほどのジェントルさで、チップも求めず几帳面で約束を守り、観光情報も積極的に教えてくれたホスピタリティに溢れる好青年だった。きっとどこで働いても活躍するタイプだろう。(冒頭の写真はその時に彼を撮影したもの)

自分「あなたはいくつ?」
青年「29歳だよ」

自分「結婚はしてる?」
青年「まだ彼女も無いよ。。もう少しお金が稼げたらきっと・・!」

自分「写真とってもいい?」
青年「いいけど、日焼けで黒くて綺麗じゃないよ~!」

自分「どうしてこの仕事を?」
青年「父親も祖父もずっとこの仕事だったから・・。長男だし・・。」

自分「学校は行ってた?」
青年「中学校まで行ってたよ」

自分「兄弟はどう?」
青年「弟は他の仕事をしてる。家族で小さい店をやってるので店番。」

自分「もし子供ができたらこの仕事させたい?」
青年「させたくない!ちゃんと教育を受けさせる。教育が本当に大事」

自分「今後のことは考えてる?」
青年「先のことや難しいことは考えたくない。今日が幸せならそれで良い」

自分「夢とかあるの?」
青年「20歳のときはいろいろあったよ。もう全部だめになったけどね」

自分「海外とか行ってみたい?」
青年「海外どころかこの辺から200km以上離れたこと無いよ。お金も無いし考えてない」

自分「土日休みとかあるの?」
青年「無いよ。自営だからいつでも休めるけど休みたいとも思わない。」

自分「え!1日も休まないの?」
青年「友達の結婚式とか特別な日は休んだりもするよ」

自分「それで疲れないの?」
青年「仕事してる日も適当にやってるし大丈夫だよ」

自分「神様は信じてる?」
青年「信じてるよ。神様が全て決める」

自分「死んだらどうなるの?」
青年「死んだ時のことはわからないよ」

自分「もし生まれ変わったらどうなりたい?」
青年「やっぱり人間がいい。でもとにかく勉強する。ボート漕ぎは嫌だ」

彼はボートを嫌いながらも、それなりに楽しく生きているように感じた。

カースト的な身分制度は、考えようによっては社会に平穏をもたらす一つの統治システムとも思える。野心を抱かず、希望も持たず、親の仕事をつぎ、その日暮らしを続けていれば、社会は競争から開放され、人の心も安定する。日本でもかつての士農工商の時代から続いてきた慣習的身分制度(農家の子は農家、長男が親を継ぐのは当然という文化)は最近まで存在していたように思うが、今はほぼ無くなったと言っていいだろう。そんな現代日本でカースト的な慣習があるとすれば、それは有名大学、大手企業が有利とされる「キャリアカースト」と、上の世代が詰まっていてなかなか若者にチャンスが回ってこない「世代カースト」などが思い当たる。

いささか競争に疲れているように見える最近の日本社会は、これから安定をもとめ「脱成長社会」を目指していくことになるかもしれない。しかしそれが競争を避けて、夢や希望を抑制して、外の世界との交流を遮断するような方向に行ってしまったら、新たなるカースト社会が誕生ということになってしまうかも知れない。やっぱりそれは避けなければいけないだろう。やはり若者達が夢や希望に燃えている社会こそが、良い社会なのではないか。

ガンジス川の上でゆらゆらとそんなことを考えてみたものの、まあ結局のところ自分にできることは大河に揺られながら精一杯に自分という船を漕ぐことしかない。

青年は夕陽が綺麗だから一緒に見ようとガンジス川の向こう岸に連れてってくれた。暮れていく町並みに沈んでいく夕陽を見ていると、インド式葬式で流された遺体(!)が暗がりのガンジスに流れてくる。ガンジスで生まれ、ガンジスで過ごし、ガンジスで死んでいくインド人。1日1000円の売上で暮らす青年は生きるも死ぬも流れに任せ、1万円で買ったスマホでgoogle+を眺めながら(!)、その日その日をそれなりに楽しんでいるようだった。少しずつ暗くなっていく川辺で神々しい夕陽を浴びながらおごってくれたチャイを飲み、ちょっとだけ日本について考えていた。街に戻って冷たいシャワーを浴びて死んだように眠れば、明日も灼熱の1日が始まる。

chai

人はなぜインドに呼ばれそして愛するのか? #8

最近、なんだか呼ばれたような気がして、インドに行ってきた。
インドのほうも待ってくれていたようで、数々のエキサイティングな体験で迎えてくれ、
気のせいか少しだけバージョンアップして帰ってくることが出来たようだ。

不思議なことに、人はなぜかインドに惹かれ、インドへ行くことになっている。

有名な例では、かのビートルズもメンバー全員でインド修行をしている。スティーブ・ジョブズも若い頃に1年も滞在したことがある。そして後年、ザッカーバーグに「インドに行ったほうがいいよ」というアドバイスもしており、実際にザッカーバーグは1ヶ月間インドに滞在した。

「インドには行くべき時期がある。その時期はインドが決める。」

三島由紀夫はこのようなことを言ったらしい。
(ちなみに三島由紀夫は自決の3年前に初めてインドを訪れている。)

それにしても不思議だ。人はなぜインドに呼ばれるのだろうか?

インドの仏教

理由1:深そうだから

インドはとにかく奥が深そうな国だ。インダス文明から始まる悠久の歴史を持ち、人口は10億を超え、仏教やヨガを生み出し、独特な文明を形成している。そしてミステリアスでもある。最新のインドを詳しく理解するための情報は意外に少なく、近くのカレー屋さんに気のいいインド人がいることがあっても、本当のインドのことは何も理解できていない。なんだか分からないけど奥深そうな国だ、という印象となる。

理由2:楽しそうだから

インド映画をみれば一目瞭然。インドは楽しそうな国だ。インド映画は踊りのシーンで溢れており、必ずハッピーエンドで終わる。日本では考えられないが、映画館では観客も踊りだしたりする。実際にインドでとあるミュージカルを観覧していたら、何人かの観客が立ち上がって一緒に踊り出すシーンを目撃した。何事にも明るくオープンに生きているように見えるインド人、いかにも人生を楽しく生きるコツを知っていそうだ。

理由3:凄そうだから

世界に誇る歴史を持ち、あれだけの人口がいて、0を生み出したインド。学校では2桁の九九を教え、誰もが英語をしゃべり、映画製作本数はハリウッド以上。このところでは大学も発展してITの世界でもすごい勢いで成長し続けている。実際に世界的企業でも、グーグルしかりマイクロソフトしかり少し前のソフトバンクしかり、インド人の経営者が増えてきている。そして数学やITだけではなく、なんだか凄そうな仙人がいて、全てを見通していそうだ。

理由4:異世界だから

インドのイメージをいろいろと並べてみたがどれも漠然としていて、行ったことのない人には、結局のところ良くわからない遠い世界だ。そう、とにかくインドは異世界なのだ。それで言えば中東やアフリカなども確かに異世界だが、しかし少ない情報からなんとなく想像はできる。インドのことはとにかくよくわからない。でも分かっていることは、きっと異世界なんだろうということだ。何らかの扉を開いてくれそうな国、それがインドだ。

 
 
・・・と、このような理由からインドに興味を持っている人は実は多いのではないか。
それでは、人はどんなときにインドへ行きたくなるのだろうか?

異世界を見たくなる時、それはきっと日常から離れて、刺激を受け、自らを振り返り、これからについてじっくり考えたいときだろう。もしあなたが水槽にいる金魚だったとしたら、水槽の様子を知るには水槽の外から観察する必要がある。同様に、あなたが今の自分を知るためにも、はるばるインドから眺めてみる必要があるのだ。(ちなみに僕はそういう理由から年に3,4回は海外に行くことにしている)

さて、そんな期待を胸に実際にインドに行ってみると何が待っているか・・・。
行く前のイメージ以上に実際のインドは激しい国で、それがまた強烈な印象を与えてくれる。

インドの駅

・とにかくめちゃくちゃ

よく聞く話ではあるが、とにかくめちゃくちゃ、本当にめちゃくちゃである。電車や飛行機は本当に頻繁に遅れ、雑に運用されている。実際に今回のインドで、30分前までに搭乗ゲート付近にいないといけないというストイックなルールを知らず、飛行機に置いていかれる経験をしたし、なんとか手配したその数時間後の便は、逆になかなか離陸しないと思ったらエンジントラブルとのことで、隣の飛行機にみんな仲良く乗り移ることになった。タクシーの運転は荒々しく、道はいつも渋滞しており、寸断なくクラクションが飛び交う大渋滞の先頭で牛がのんびり歩いている。牛はそこら中に糞を撒き散らし、その横を人々は裸足で歩き、老婆は糞を素手で壁に貼りつけて干している。タクシーの運転手は「エアコン付ける?100円かかるけど」などと言ってきて、気を許せばいくらでも騙されそうである。インドの日々は頭にビックリマークが点滅しっぱなしで休まることがない。このあまりにも激烈な出迎えに、「奥深きインド」「優しくて暖かい人々」「すべてを見通す仙人」などの畏敬のイメージは豪快に吹き飛ばされる。

・そこまで凄くはない

そして冷静にインドを見てみれば、まあ別にそこまで凄くはない。経済発展は急速だが大都市のビジネス街と言っても高層ビル以上にゴミや渋滞や浮浪者が溢れてまだまだ新興国に分類される。インドから産まれた革新的な製品やビジネスや文化もそこまで多くない。映画も映画館も実際見てみると、それほどクオリティが高いという程ではない。そして2桁の九九が出来る人は見あたらないし、みんなが英語をしゃべるといっても中学レベルの英会話である。(ただ喋れる人は確かに多い。多言語国家のインドでは、最大話者のヒンドゥー語でさえ、3億人程度しかしゃべれない。ゆえにインド人同士の会話でも英語が重要なツールになってる)

・とことん自由

インド人はとにかく自由だ。あるがままに生きている。ベンチの隣に座って話しかけてきたおじさんは、こちらが日本人とわかるとなぜか嬉しくて歌い出した。その横で遊んでいる小さな姉妹はお菓子を野良猿に投げつけながら近くのゴミで焚き火をして遊び、一緒に遊ぼうと誘ってくる。お店の人は気分次第で料金を簡単に上げたり下げたりする。牛も猿も人も、インドではみんな自由だ。

・やっぱり楽しそう!

新興国も先進国もたくさん見てきたが、インドの一番の違いは、とにかく楽しそうな人が多いということだ。新興国の人が楽しそうなのはよくあることだが、インド人は群を抜いて楽しそうだ。きっと宗教的・民族的な特徴で、毎日を楽しく過ごすスタイルが染み付いているのだろう。ちょっと信じられないことだが、インド人は死ぬと灰にされ、全員ガンジス川に流される。どうせ死んだらみんな同じ川に流されるなら、人生という川もゆらゆら流されながら楽しもうぜ、という価値観が根付いているのかもしれない。

インドの駅で寝る人

 

おそらく初インドに遭遇した人の共通体験は、行く前はもっと精神的なもの、奥深いもの、斬新なものを想像し期待していったのに、実際に行くとそれどころじゃなく何も考える余裕もない程ただただメチャクチャで激しい体験をして帰ってきたというものだろう。たしかに行く前のイメージと実際の喧騒には大きなギャップがあるが、まあでも、とにかく異世界には間違いない。むしろその想像を超えたメチャクチャ具合がインドのインドたるゆえんで、その異世界ゆえに多くの気付きを与えてくれるのだ。

スティーブ・ジョブズはインドをこう評している。
「インドの田舎の人たちは、私たちのように知性を使おうとしません。彼らは、直感で動くのです。私は、直感は知性よりも強力だと思っています。そのことが、私の仕事に大きな影響を与えました」

もしかすると、先進国が科学的発展の中で数百年前に置き捨ててきた、動物的な本能、人間本来の暖かさ、幸せの本質を、インドはまだ根強く残しているだけのかもしれない。先進国も昔はインドだったのかもしれず、これからインドが先進国化するにあたって、インドはインドで無くなっていくのかもしれない。人懐っこくて本能に忠実でいつでも騒がしいインド人を見ていると、なんだか暖かいような、愉快なような、愛おしいような、ポジティブな気持ちになってくる。

世界中から人を呼び込み、メチャクチャに扱い、気付きを与えて帰す、マイペースで暑苦しい国インド。いつまでも愛される、人類の愉快な故郷であって欲しいものだ。

ということで、インドの旅、オススメです。

【検証】フジテレビ低迷は地デジ化が理由!? そしてUIの重要性 #7

●フジテレビの謎の低迷が話題に

フジテレビが売上1位の座を日テレに明け渡したらしい。

日テレがフジを抜いて民放テレビ局売上トップ(マイナビニュース)

民放テレビキー5局の2015年度(2015年4月~2016年3月)決算が13日出そろい、持ち株会社でない単体の売上高で、日本テレビがフジテレビを抜いてトップに立った。フジは、1984年から31年にわたって守ってきた民放テレビ局売上トップの座を明け渡した。

我々80年代生まれにとってフジテレビといえばトップを走り続ける若者の憧れのブランドだった。そんな天下のフジテレビがどうして低迷に陥ってしまったのか、その理由についてはさまざまな憶測がなされている。新番組の不発、人気番組の弱体化、傲慢さ、チャレンジ精神の欠如、バブル文化、韓流推し、経営体制、編成体制、制作体制などなど、、例えば下記のような記事だ。

フジテレビ視聴率低迷、どうした?(毎日新聞)

それにしてもフジテレビだけがこうも急に悪くなってしまうものだろうか。もっと他のところに原因があるのではないか? そう、あくまでも推測にはなるが、実のところ本当の理由は「単に地デジ化によるチャンネル移動の影響」ではないかと思われる。いままで良好なチャンネル位置にあったフジテレビが、地デジ化によって一気に後方のチャンネルに移動したことで、4,5,6とリモコンを押しながら番組を選んでいた視聴者が、8ちゃんねるまでたどり着かなくなり視聴率の低迷を招いたのだ。あるいはテレビ番組表でも、一番右奥に移ったことで番組の存在が目に入りづらくなり、視聴者数が減ってしまったのである。これはあまりにも単純で底浅い議論に感じるためか、新聞記者や専門家にはあまり指摘されていないポイントだが、世の中のことは意外と単純である。ということで、今回は地デジ化によって各局の視聴率にどのような影響があったのか、データをもとに検証してみる。

 

●チャンネルはどのように移動したか

まずは地デジ化によってチャンネル位置がどうに変わったかをおさらいする。見てのとおり、フジテレビが大きく後退し、その代わりテレ朝が大きく前進している。

アナログ→地デジ化のチャンネル移動

 

●視聴率にどう影響しそうか

つぎにこの移動が視聴率へどう影響しそうかの仮説を立ててみる。前方あるいは中心に移動するほど有利とすれば、フジテレビが不利に、テレ朝は有利になりそうで、その他の局はそこまで大きな影響は無さそうである。

チャンネル移動仮説

ちなみに都道府県ごとにチャンネル位置は微妙に違う。まあそれでもフジテレビは8、TBSは6といったように関東に合わせているケースが多いため、ここでは気にしないことにする。
参考)フジネットワークの加盟局一覧|wikipedia

 

●地デジの普及ペースはどうだったか

いまやすっかり普及した地デジだが、どのように普及していったのか。業界団体の発表によれば、2011年までに地デジの普及率はほぼ100%となったようだ。(当時アナログ放送は2011年で停止するとされた)。特に2008年〜2011年頃に急速に普及していったようだ。

地デジの普及ペース

参考)地上デジタルテレビ放送受信機器国内出荷実績|jeita

 

●各局の視聴率はどう変わったか

いよいよ各局の視聴率の推移を見てみる。しかしスマホ人気の影響か、全体的に下降トレンドにあり、、各局の違いが分かりにくい。

各局の視聴率の推移

 
※下記のサイトを参考にさせて頂いた。もっと詳しく確認したい場合はこちらへ
参考)主要テレビ局の複数年に渡る視聴率推移をグラフ化してみる|ガベージニュース

 

●偏差値にしてみた

各局の相対的な好不調を明確にするために、偏差値の推移に直してみた。各6局の平均点が50であり、偏差値が高いほど他局に比べて好調だったと言える

各局の視聴率偏差値の推移

 

●やっぱりフジテレビとテレ朝に大きく影響!

フジテレビとテレ朝だけを見てみればこの通り!やはり地デジの普及に大きく影響を受けていることが見て取れる。フジテレビは2009年以降に大きく下降を始め、その後も下がり続けており、反比例するかのように、テレ朝は2009年頃より急上昇となり、普及率ほぼ100%となった2012年には遂にフジテレビを抜き去ってしまったのだ。

各局の視聴率偏差値の推移:フジテレビとテレ朝

 

●影響の少なかった他の局

その他の4局を見てみると、TBS,テレ東は若干の影響は見られるがそこまで大きな変化ではないようだ。日テレは大きく伸びているが、ライバルのフジテレビの低迷を追い風に1強としての地位を確立していったのかもしれない。

各局の視聴率偏差値の推移:NHK,日テレ,TBS,テレ東

ここに述べているのはあくまでも仮説に過ぎず確証が持てている訳ではない(できればアナログ・地デジに分けてそれぞれの視聴率を分析したりしたい)が、経営体制の問題やチャレンジ精神の欠如など、そんなに急に変わるものでもなかったりする理由よりは、チャンネル位置の変更という理由のほうが論理的に説得力を持つのではないか。

 

●結論:UIの重要性を再認識!

リモコン

この記事で特に強調したかったことは、テレビ業界の視聴率競争のことではなく、ただただシンプルにUIの重要性についてである。WEBやアプリの現場で長年ものづくりを追求してきた身からすると、UI設計はあまりにも重要で、このボタンを右に置くか左に置くか、数ピクセル大きくするかなど、ささいなことと思われがちなUI構成の判断に永遠と時間をかけて悩んだりする。

地デジ化によってテレビリモコンのチャンネル位置がほんの数センチ移動しただけだが、その移動はとてつもない(金額にすれば数百億円以上かもしれない)影響を与えた。UIの良し悪しは時としてコンテンツそのものよりも大きな影響をもたらすが、その重要性はそれほど認知されていない。数億円かけて作ったコンテンツも、数分のUI会議で台無しに出来てしまうのだ。つくり手としてはコンテンツへの思い入れが強くなるところだが、そのためにもUIが最高に使いやすいかの検討に十分な時間をかけるべきである。

これからの時代、スマホやタブレット、VRなど新しいタイプのコンテンツが溢れだし、視聴スタイルも流通方式も多様化するなか、数ある選択肢の中からユーザの注目を勝ち取るための鍵は、UIにある。

 

追記)ちなみにホリエモンも同様の指摘を行っていた。
フジテレビ急落はリモコンボタン8の場所が原因だ

ベーシックインカムの時代に黒澤監督と生きる #6

(黒澤明監督/東宝「生きる」より)

ベーシックインカムの議論が活発になってきた。

ベーシックインカムというのは、全国民に生活できる程度の現金を支給するという社会保障のアイディアで、もし具現化すれば仕事をしなくても生きていける社会がやってくるかもしれない。2016年1月にはオランダの一都市で実験的な導入が開始され、2016年の6月にはスイスで導入の是非を問う国民投票が行われる予定だ。

とある試算によれば、日本で実現する場合には、「年金・生活保護・雇用保険・児童手当」を廃止してベーシックインカムに一本化するような最適化を行えば、増税しなくても全国民に月5万円程度の支給が可能になるらしい。

そういったお金の話は別としても、ロボットによって農業や製造業が自動化されていけば、直感的に考えても、最低限の生活は無償で享受できるような時代はたしかにやってくるかも知れないと思える。誰もが飢えを恐れることなく、のびのびと生きていける時代。そんな平和な世になることは素晴らしいと思うし、ぜひ実現して欲しいなと思う。

そんなベーシックインカム、様々な疑問の声も上がっている。その最大のものは、「人は生活の心配がなくなると働かなくなるし、働かないと堕落するのでは?」という心配である。これについては、前回の記事(人工知能の時代でも、仕事はなくならない#5)でも書いたが、やっぱり人間には仕事が必要であり、仕事はなくならないのでは?とも思える。

ベーシックインカムは人類社会を進歩させるのかあるいはただの絵に描いた餅なのか。この命題は世界的な関心を集めていると言えるだろう。

・・・とそんなことを考えていたある日、たまたま黒澤明監督の名作「生きる」という映画を見て、あらためて仕事の意味について考えさせられることとなった。有名な作品なので既にご存知も多いかと思うが、簡単にストーリーを説明すると、、

主人公はどこにでもいる平凡な市役所の課長さんで、冒頭から印象的なナレーションで始まる。

「これが、この物語の主人公である。しかし、今、この男について語るのは退屈なだけだ。なぜなら、彼は時間をつぶしているだけだからだ。彼には、生きた時間がない。つまり、彼は生きているとは言えないからである(中略)今や意欲や情熱は、少しもない。それは、役所の煩雑すぎる機構と、無意味な忙しさの中で、全く磨り減らしてしまったのである。(中略)忙しい、まったく忙しい。しかし、この男は、本当は全く何もしていない。この椅子を守る事以外の事は。そして、この世界で地位を守るには、何もしないのが一番いいのである。」

そんな典型的な市役所の課長さんであったが、あるとき医者に診てもらったところから彼の人生は急旋回する。彼はなんと胃がんと診断され、残りの人生はもってあと半年〜1年程度と宣告されてしまったのだ。

それを知ってからの課長さんは急に市役所に行かなくなり、今までと違う人生を模索するかのように、慣れないクラブ通いなどの夜遊びらしいことをしてみてもやっぱり満たされず、家族にはもともと慕われておらず打ち明けることすらできず、悶々とする日が続くかに見えたそんなある日、知り合いの女性と会って話すうちに突然はっと覚醒し、「なにかやろう」と思いたち、近隣住民に懇願されていた「公園を作る」という目的を見出す。

そこからの課長さんはまるで別人に変わったのごとく、腰が重い他部署をけしかけ、重役に直談判を申し込み、裏社会の人間にもたじろぐことなく、一心不乱に公園づくりに邁進することになる。そして数カ月後、何とか公園は出来上がり、課長さんは死んだ。課長さんはたったひとつの小さな公園を作るために最後の短い人生を捧げ、周辺住民の感謝や同僚の尊敬を浴びながら、最後は惜しまれて死んでいったのである。

ラストは彼がいなければ作られることはなかったであろう小さな公園で子供が平和に遊んでいるシーンで終わる。きっと課長さんのことも、公園が出来た感動も、周辺住人の感謝の気持ちも、少し時間が立てば何もかも忘れ去られてしまっているだろう。彼は最後の人生をかけて、名も無き小さな公園を、名も無き少数の近隣住民のために作ったのである。ただそれだけの話ではあるけれど、それだけに誰にでも起きそうな身近で切実なストーリーである。

黒澤監督は「生きがいとは何か」といった問いへの答えを直球で投げかけてくる。課長さんは近い将来に死ぬことを知ったことでまさに別人のように覚醒して必死に生きようとし、みずから熱中できるものを見つけ充実した最後を迎えた。 考えてみれば覚醒前も覚醒後も、彼がやっていたことは全く同じ市役所の同じ業務で、特に役職や権限や環境が変わったわけでもない。変わったことは彼が死に直面して初めて感じた、「なりかやりたい!」という気持ちだけなのだ。

この作品で最も印象的だったシーンは、彼がまさに覚醒する瞬間のシーンである。
市役所の元部下で今は工場で働いている女性と、喫茶店でこんなやりとりが繰り広げられる。
(※ちなみに冒頭の写真はこのシーンのもの)

女性「なぜ私なんかにつきまとうの?」
課長「自分でも分からない・・何故か君といると楽しい・・どうして君はそんなに活気があるのか?ワシはうらやましい・・死ぬまで一日でもいいからそんなふうに生きたい」
女性「私はただ働いて食べて・・それだけよ。ただこんな人形を作ってるだけよ。でも・・こんなものでも作ってると楽しいわ。これを作ってから日本中の子どもと仲良しになった気持ちなの。ねえ課長さんも何か作ってみたら?」
課長「しかし、もう時間が・・そして役所で何を・・もう遅い・・・・いや、遅くない!・・ただやる気になれば!・・ワシにも何かできる!」

ここから課長さんは生まれ変わったように役所に戻り、机の上で偶然見つけた公園の書類に目をつけ、そして公園をつくるために奔走し、半年後に亡くなるのである。おそらく課長さんはもともと公園作りに興味があったわけでもなく、その付近の住民のことを思っていたわけでもない。とにかく彼はただ何かをやりたかったのだ。

「生きる」が発表されたのは戦後わずか7年後。この作品は今も昔も変わらない生きがいについての黒澤監督からの普遍的なメッセージだ。もしベーシックインカムの時代になり働かなくても生きていけるようになったとしても、きっと多くの人は生きがいを感じるために、誰かの役に立ちたいがために、何らかの仕事をし続けるのだろう。ベーシックインカムは「働かなくても生きていける社会保障」という方向性で進めると失敗するのではないか。それよりは「起業や研究など新しい挑戦の背中を押してくれる社会保障」という方針で進めるべきである。

やっぱり人間にとって働くということは特別で欠かせない行為なのである。
そんなことを感じさせてくれる傑作だった。

 
そしていま、皆さんにとっての「公園」はすでに見つかっているでしょうか?
もしまだ見つかっていないとすれば「なにか作ってみる」のが良いのかも知れません。

人工知能の時代でも、仕事は無くならない #5

 
人類は人工知能の春を迎えたようだ。

AlphaGOは囲碁チャンピオンを打ち負かし、車の自動運転も実用化され始め、小説や絵画を書くAIも出てきている。そんなAIの勢いを見て、これからますます便利になりそう!という期待と同時に、「この勢いでAIが発達すると人間の仕事がなくるんじゃ・・?」という疑問を持つ人も多いかもしれない。それは仕事が嫌いな人には希望かもしれないし、そうでもない人には不安かもしれない。

仕事好きな1人として想うに、人類は仕事を手放すべきではないし、
仕事も人類を手放すことは無いだろう。

まず、どうして仕事を手放すべきではないか?
それは人間社会が仕事のおかげで平安が保たれているからだ

生意気だった子供も、仕事を通して社会での在り方を学ぶし、
こもりがちな老人も、仕事を通して社会との繋がりを続けている。

もし仕事をしなくて良い時代になったら、きっと社会はもっと不安定なものになるだろう。

各国の政府が失業率をKPIとして重視しているのも、失業者が増えてくると社会が荒れるからである。それは失業者がお金に困り犯罪に手を出しやすくなるのもあるが、それ以上に仕事を通して得られる社会との繋がりやバランス感覚、そして人としての誇りを失ってしまうことが大きいのではないだろうか。下記のグラフが示すように失業率と犯罪率は明確に相関している。

 

photo_20090128
(参考:相関係数の高い、完全失業率と犯罪 | セコム)

米国の中央銀行であるFRBが公称している活動目標はたったの2つ。1つは「物価の安定」、そしてもう1つが「雇用の最大化」である。それだけ雇用を増やし失業者を減らすということは重視されている。政府が借金をしながらも公共事業を辞めない理由の一端も失業対策にある。街に失業者を溢れさせて治安を悪化させるよりは、(無駄かもしれない)ダムや道路を作るために働いて稼いでもらい、そのお金を市中に溢れさせたほうが良策と判断しているのである。あのエジプトのピラミッドも失業対策のための公共事業として作られたという説もあるほどだ。

そして仕事は「生きがい」を与える場でもある。とある知り合いの社長は、個人事業時代に一攫千金を成し遂げほぼ仕事をしないで生きていける状態になり、ゲームをしたり旅をしたりネットカフェに入り浸る生活をしていたが、数ヶ月ですっかり飽きてしまったのちに、一念発起して小さな会社を起こし資金繰りに奔走する毎日を選んだ。「人は生活のためだけに仕事するにあらず」である。

・・さてさて、あるべき論は別として、実際のところ人工知能の発達によって人類は仕事をしなくても良くなるのだろうか?

たしかに今ある仕事の多くは人工知能で代替可能かもしれない。タクシーの運転やファーストフードのキッチンなどはロボットで出来るようになる可能性が高いだろう。しかしだからと言って人間の仕事はなくならない。現在ある簡単な作業がロボットに代行されていくと同時に、それ以上にたくさんの新しい仕事が生み出されていくだろう。

そもそも我々人類は機械に仕事を奪われ新しい仕事を創りだす体験を繰り返してきた。下のグラフからもわかるように、我々のおじいちゃん達はかなりの確率で農民だった。みなさんも、みなさんの友達も、おじいちゃんは農民だったという人は多いのではないだろうか(僕もそのうちの一人)

1-3
(参考:産業別就業人口割合 | 日本リサーチ総合研究所)

現在、われら80年代以降に産まれた世代は、もちろんほとんどが農民ではない。この100年の間に、農業機械の発達によって、実に数千万人分の仕事が機械に奪われたのである。それにもかかわらず、政府の統計を見ても、農作物の生産量もさほど変わっていない。
(参考:食料統計年報平成20年版 | 農林水産省)

現代の日本の失業率は3%程度である。ほとんどの人が仕事にあるつけている状態だ。我々はこの100年の世代交代の中で、ものの見事に新しい仕事を生み出し、新しい仕事へ大急ぎで大移動した結果、ほとんどの人が仕事にありつけているのである。これから人工知能やロボットが人間の仕事を奪っていったとしても、この100年ほどの大きなダイナミズムにはならないだろう。

それではこれからどうなるか?
たしかに運転手やキッチンなどの単純作業系の仕事は無くなっていくかもしれないが、アートやクリエイティブ、イノベーションの領域で人間の活躍する余地がまだまだある。気分が高揚するようなカッコいいクルマを創ったり、見てるだけで幸せな創作料理を創ったりすることはまだAIには出来ない。最近でもAIが小説や絵画を書いたりはしているが、作業過程で人間による作為がかなり入っているので、本当の意味でAIが創作しているとはいえない。

碁にしても、完全情報ゲーム(すべての情報が明らかになっている上での思考ゲーム)では人間を打ち負かしたが、現実の世界は暗闇の中で意思決定しないといけないことばかりである。車の自動運転にしても難しいのは運転そのものを制御するロジックではなくて、道に転がってるのが単なる影なのかゴミなのか未知の物体なのかという情報を一瞬で認知し、なんともいえないような不確定状態の中でも直感的な判断をするロジックである。情報が完全に明らかになっていれば、自動運転をさせることはそれほど難しくはないのだ。これからは用途を限定した自動車の運転はAIで代替されていく可能性があるが、複雑な駆け引きが必要なレースやパトカーの運転などを自動運転に任せられる日はまだまだ遠い未来になるだろう。そしてレジャーやファッションとしての自動車の市場がより活発になり、その方面での仕事が生み出されていくだろう。

これからの人類は明快で単純な仕事はAIやロボットに任せ、未知な仕事や直感的で複雑な判断な求められる難しい仕事、あるいはクリエイティブな仕事を担当するべきだ。そしてもし、もっともっと先の将来にAIが本当の意味でのクリエイティブな仕事ができるようになったとしても、AIが作った作品に人間は感動するだろうか?最初は物珍しくヒットするかもしれないが、恒常的に人類の需要を満たし続けることは恐らく無いだろうと思う。芸術の役割のひとつが作品をとおして人々の共感を呼び起こすことであるなら、やはり人類は「人」の創作に対して感動を覚えているのではないだろうか。ゴッホの絵を鑑賞するときは、ゴッホは生涯でたった1枚の絵しか売れなかったという物語や、ゴッホの視点で見ている世界の鮮やかさに感動しているのである。

実際のところ、AIがどこまで進化するかはまだ予想がつかない。自由意志や創造性まで身につけて、人類の知恵をこえて人類を脅かすという予想もあるが、今のところ、まだそのような技術は発明されていない。いつか実現する日が来るかもしれないが、それはそれで楽しみでもあるし、そうなったとしてもアートやクリエイティブの領域で人間の仕事は残るはずだ。毎日が文化祭のように、多様な表現と多様な消費が行われる社会になっているかも知れない。

我々の親の世代が農民から製造業やサービス業に大移動したように、我々やその下の世代は、クリエイティブやイノベイティブな仕事に移動していくだろう。将来は「全国民が芸能人」のような時代が待っているかもしれない。でもたぶん我々の生きている間にはまだ実現しないだろう。

先のことを考え過ぎてボーッとしててもしかたない。30年後にこの記事を読み返すのを楽しみにしつつ、まずはAIやロボットをフル活用して目の前に大量に積まれている社会問題や世界平和に一歩ずつ貢献するべく、働こう。

怠惰はエンジニアの美徳 #4

あれは10年ぐらい前のこと

エンジニアとして駆け出しだった自分は寝ても覚めても腕を磨くことを考えていた時期で、特に「設計力」というものを身に着けたくて、目に映るものを片っ端から頭のなかで設計してみるという修行を自分に課していた。たとえば自動改札機を通り抜けたなら、「この切符のIDはこうやって割り振って売上のデータはこの形式で保存して・・」などといった具合である。

そんなとある日、山手線でつり革を持ちながら壁に貼ってあったキャンペーン広告をなんとなく眺め見た瞬間、凍りつくような驚愕を覚えた。

それはだいたいこのようなキャンペーン広告だった


「1分に1人当たるプレゼントキャンペーン実施中!」
〜キャンペーン期間中に、XYZカードに加盟しているデパートやファミレスなど、全国合計10万店舗のどこかのレジでXYZカードを使ってお買い物をしたら、1分に1人のペースで購入したお客様にプレゼントが当たるキャンペーンを実施しています!〜

・・・これは大変なことになった。こんなシステムを作れるだろうか?何から手を付けよう?

全国に10万店舗あるレジに、1分に1回どこかのレジで当選者がでるように仕組みを作らないといけない。

1店舗に平均して10個レジがあるとしたら、10万店で100万個のレジになる。100万個のレジにプログラムを仕込むのは相当な作業になる。そしてデパートやコンビニ、ファミレスまで多種多様な会社があつまっているので、レジのOSも様々なはずで、それぞれについてプログラムを開発しないといけない。

もしそれが出来たとしても、100万個のレジから中央サーバに1分に1回問い合わせて、「次の1分で自分のレジであたりを出すか?」を確認することになるとしたら、平均して1秒あたり1.6万のアクセスが中央サーバに集中することになる。10年前の当時、そのようなサーバを構成するには莫大なコストがかかるはずだった。

一体このプロジェクトには何億の開発運用コストがかかっているのだろうか?

目の前が真っ暗になりかけたその時、一瞬のひらめきが脳内を浮かび、「あ、なんだこれでいいのか!」という数学の問題を説いた時のような爽快感に包まれることになった。

いったいどのように解決したのだろうか?

僕はその時、過激なサボり方を見つけたのであった。
(そしておそらく現実的にもこのような方法で運用されていたに違いない!)

それはこのような解決策である。

1. 100万台のレジがある
2. 平均して1分間に1人がレジを通過すると仮定する
3. レジは営業時間中、休みなく動いていると仮定する
4. そうすると平均して1分に100万人がレジを通過する
5. 1分に1人当選させるためには、1/100万回の確率で当選すればよい
6. 1/100万の確率で当選者を出すようにすべてのレジに設定する
7. この方法で運用すると、結果的に”だいたい”1分に1人プレゼントが当選する

いかがだろうか?

2,3の仮定値は実測値に応じて設定すればいい。
6の実施方法はレジのソフトウェアで設定してもらってもいいし、それが難しければ「この日にこの店舗のこのレジで何時何分に当選を出す」というアナログな決め方によって実現することもできる。それぞれの企業毎に最適な方法で実施してもらえばいい。(レジのソフトウェアを更新することになっても、通信なども発生しないためそこまで大きな開発時間はかからないだろう)

まじめに実現する方式と怠惰な方法を並べてみてみよう

まじめ方式:
全国のレジから中央サーバに定期的に通信を行い、抽選により当選するレジを決定する

怠惰な方式:
通信はせず、期間中は適度な確率で当選させるよう各レジに設定しておく

何らかの事情で絶対確実に1分間に1人を当選させたいのであればこの方式は使えないが、そこまで厳格ではない場合はこのように適度な”サボり方”をすることで、開発コストはおそらく数百分の1にまで節約できるのである。

今回の例はいささか極端で分かりやすい例ではあるが、設計段階の方針決定がいかに重要かを教えてくれる。勤勉な国民性の日本社会ではそのまま真面目に実装するがゆえに開発コストが跳ね上がってしまうことは多々あるのではないだろうか。あるいは国家予算を使って開発するようなソフトウェアは、開発する会社があえて高い見積もりを出すために、過剰に真面目な設計を持ち出してくることで、莫大な予算を無駄に消費してしまう現象も起きがちである。ソフトウェアはコストをかけようと思えばいくらでも多くかけられるのである。そしてまた優秀なプログラマは普通のプログラマの数十倍のパフォーマンスを発揮するといった研究結果(とそして実感)も存在するが、このような「設計思想での思い切り」のセンスも関係しているだろう。

Perlというプログラム言語を開発した偉大なエンジニアであるラリー・ウォール氏によれば、エンジニアの三大美徳は「怠惰」「短期」「傲慢」であるらしい。「怠惰」ゆえにすべてを自動化しようとするし、最低限のコストで目的を果たす方法を考えている。優秀なエンジニアであるほど、楽するために努力しているのである。

エンジニアの服が毎日同じであっても、いつも同じカップ麺を食べていたとしも、「面倒くさい」が口癖であっても、髪に謎の糸が付いてても、許してあげよう。

怠惰はエンジニアの美徳なのだから。

自由人たるエンジニアはアジャイル旅行へ出よ #3

「アジャイル旅行」という単語を知っているだろうか?

ほとんどの人にとっては初見の単語と思われるが無理もない。
なぜならついさっき思いついたばかりの新単語だからだ。

このスキー写真は先日僕が「アジャイル旅行」でスキーに行ってきた時に撮影してきた写真だ。
「アジャイル旅行」だったからこそ、素晴らしいスキー体験をすることが可能になった。

それでは、「アジャイル旅行」とはなにか、それはこの記事を見て頂ければご理解いただける。

■「アジャイル旅行」とは?

「アジャイル旅行」とは、いつも僕が実践している、そして他にも多くの隠れた愛好者がいると思われる新しい旅行のスタイルである。

「アジャイル」とは、ソフトウェア業界でよく使われる用語で、簡単に説明してしまうなら、「事前に精緻な計画は立てず、途中途中の状況に適応しながら柔軟に開発するスタイル」のようなことを指す。(wikipediaの解説はこちら)

「アジャイル旅行」はこの思想に影響を受けて、事前に精緻な計画は立てず、柔軟に計画を変更しながら進行する旅行スタイルのことである。事前に大まかな行き先や体験したいことは企画するが、詳しい計画は旅行の中でリアルタイムに変更しながら、その場その場に合わせてベストな旅行を創り上げていくことで、旅行の満足度を最大化することを目的としている。

■なぜアジャイル旅行がいいのか?

皆さんはこんな経験は無いだろうか?

  • スケジュールが小刻みで詳細に決まっていて仕事みたいで楽しめなかった
  • 外で遊ぶタイプのレジャーに行ったが天候不良や体調不良で楽しめなかった
  • トラブル等で予定が狂い、無駄に2時間潰れた。
  • 予定が狂うことを恐れるあまり多くの行き先を計画に入れられない
  • 現地で凄く気になる謎の遊園地を見つけたが、当初の計画にないのでいけない
  • アクティブな計画を立てたが当日はまったりしたい気分。でも予定変更不可
  • 事情が変わって行きたくないのにキャンセル代がもったいないので嫌々行く

このようなトラブルを避けるためにアジャイル旅行は有効である。その旅行の体験を最高のものにするためには、当日の気分、気候、体調、そして初めて着いた現地の特徴、現地で見つけたスポットなど、当日でないとわからない情報を考慮して、最初に立てた大まかな企画をリアルタイムかつ柔軟に修正していくことが求められる。

自由な生き方を志すエンジニアであれば、不確定要素がある段階での保守的な計画に縛られず、旅行の過程においても計画を柔軟にコントロールしながら最適な旅行をプログラミングすべきである。技術の進歩で、ライフスタイルが革新される中、旅行のスタイルも革新されてしかるべきで、「かなり前に計画を立てて、当日はその通りに行動するだけ」というこれまでのスタイルも見直していくべきでは無いだろうか?

ちなみに、ソフトウェアの世界では、”YAGNI”という言葉がある。
“You ain’t gonna need it”の頭文字を取ったもので、「それ、必要ないかも知れないよ」という意味で、将来的に必要になるかどうかわからない時点では、いろんな心配をして事前に準備しても多くが無駄になるかもしれないので、今は何もしないでおいて、必要になった時に考えようよ。という趣旨である。その時になにをすべきかは、その時になってみてから考えたほうが多くの場合は合理的なのである。

■実際にアジャイル旅行を体験してみよう

百聞は一見にしかず。百見は一験にしかず。 (by松下幸之助)

最近僕が体験したアジャイル旅行を時系列で細かくまとめてみた。
どのように旅行を始め、どのように進行しているのかを追体験してみよう。
これは今年の1月に僕が一人でスキーに行った時のアジャイル旅行の記録である。

8:00

起床。今日は1日休暇の土曜日。さて何をしようかな。
体はそこまで疲労感がない状態。明日は夕方まで予定なし。
最近忙しくてジョギングが出来てなかったし体を動かしたいな。
冬も本番になったし、今年まだ行ってなかったスキーにでも行くか!
悪天候のスキー場は寒くて景色も悪いので避けたい。
→PCで調べてみる。全国的に天気が悪いが、、岩手付近だけ晴れてる!
またそもそも関東近辺は週末は大混雑なので避けたい。
→岩手に安比高原っていうのがあるらしい。空いててコースも充実でオススメらしい!
9:40に家を出れば14:00にスキー場につけるらしい。
時間的には遅めだけど物足りなければ宿泊するのもアリかな。
9:40の出発を待ちつつ、現地情報の調査。また一応長野付近の空いてるスキー場なども調査

9:40

手ぶらで家を出発。東京駅へ向かう
#本当にちゃんとスキーができるかワクワクしながら向かう

10:10

東京駅に到着。盛岡行きのチケットを購入
#この時点で新幹線に乗り遅れたりチケット売切れだったら長野でも行くか
#帰りはどうなるかわからないので往復チケットは買わない

10:20

盛岡行きの新幹線に乗車。乗車率は90%程度。
スマホにて、安比の歴史や楽しみ方、割引情報、帰る交通手段等を調査。
空き時間でこのブログ記事を下書きしたりメールチェックなど仕事をする。
そして空いているスペースでストレッチをしてたらあっという間に盛岡到着

12:33

快晴の盛岡に到着!
安比高原までのバスの往復チケット+リフト券のセット+レンタル1000円引きを購入

12:45

すぐにバスが出発、ガラガラで乗車率は20%程度。
ブログを書いたり、考えごとをして景色を愉しんでるとあっという間に1時間経過
#この時点でバス乗り遅れたりチケット売切れだったら他のスキー場を探すか盛岡市内観光に変更

13:33

快晴の安比高原スキー場へ到着!景色が最高!
遅めの時間帯なのでレンタルなど行列も無くスムーズに通過

14:00

予定通りスキー開始、かなり空いている!リフトも並ばずok
雪質は晴れが続いたためかざらつき気味ではあるが十分楽しめるレベル。
スキーを楽しむ。

16:00

ゴンドラが営業終了。ナイター営業に。
生き残こったリフトが一次的に行列になったので遅めのランチ休憩することに。
#ちなみにリフトが行列だったりしても、一人なのですぐに乗れたりもする

16:30

スキー再開。遅い時間なのでゲレンデはかなり空いている。リフトの待ちもなし。

17:50

足が重くなってきたところでスキー終了。
全コースは制覇できずちょっと物足りないくらいだがそれぐらいで丁度いい。
レンタルの返却等手続き。待ち時間なくスムーズに。

18:00

スキー場についている温泉に浸かって最高!

18:40

畳の上でビールを飲みながら畳の上でまったり。

19:04

シャトルバスで安比高原駅へ出発
#盛岡駅までのバスの往復チケットを買ってあったが、
バスだと終バスが17時までしかなかったので帰りは電車に切り替えた
駅までのバスに乗ってるは自分1人だけ。貸切状態。

19:22

暗闇の安比高原駅に到着。無人状態で客は自分一人だけ。
#この時点で電車に乗り遅れたら当日予約可能な5000円の現地ペンションに宿泊する(調査済)
#宿泊の場合、着替えを持ってきて無いので必要に応じて購入

19:38

盛岡行きの電車に無事乗車、ほぼ貸切状態。足を伸ばしてゆったり過ごす。
スマホでブログを書いたり岩手の名産を調査していたらあっという間に盛岡到着

20:38

盛岡駅に到着。帰りの新幹線チケットを購入。夕食用の岩手の名産物とお酒を買い込む
#この時点で新幹線に乗り遅れたら盛岡市内のホテルに宿泊、盛岡観光後に新幹線で帰る。
#この時のテンションと翌日の予定次第ではもう1泊する可能性もあり

20:50

盛岡駅を出発 乗車率10% ガラガラ状態
夕食を楽しみつつ、スマホのKindleで読書をしたらあっというまに東京着。

23:04

東京駅着。遠い世界から戻ってきたような感覚。
心地よい疲労感。バスツアーの帰りのようなぐったり感は無し。

23:30

帰宅。幸福感に包まれながら就寝。

 

以上が当日の記録である。
全くのノープランで当日に旅行に出たのにも関わらず、スムーズに旅行を楽しめ、高い満足感を得ることが出来た。

■いくつかの重要なポイント

・どこで何をするかも当日に決める

今回の場合、事前に決まっていたことは「休暇を楽しむ」ということだけである。どこで何をするのかは、当日の天候や体調や気分などに配慮して決めた。これが海外旅行などだと、航空チケットだけは事前に購入し、行ってからのことは当日以降に考えるという流れになる。

・事前にはわからないことがあった

事前に無駄のない計画を立てることもできるが、満足度を上げるための下記のような前提条件は当日でなければわからなかった
・当日の天候
・当日の体調
・当日の気分(遠くにでかけスポーツをしたい気分か)
・現地の規模感(楽しみ方や移動方法など見ないとわからない面があった)
・スキー場の空き状況
・スキー中の疲れ具合(辞める時間も疲れ具合で変動)
・日帰りしたいか(日帰りでも満足だったので日帰りにした)

・当日の情報収集が命

当日の出発前や移動中などに集中してスマホで様々な情報収集を行った。
交通手段や楽しみ方、周辺スポットや注意点など、当日なのでリアルな関心での調査になり調査結果も頭の中に行きたママなので、リアルタイムの複雑な判断がしやすい。

・無駄な時間がほぼ無い

電車や行列を待っているような無駄な時間が無かった。(あっても20分以内)
これは当日の調査で最適な交通手段を調べ、無駄なくスケジューリングしたため。
事前の計画だと到着時間など保守的に見積がちだが、間に合わなければ他のことしようという割り切りがあれば、ギリギリで行動することができるようになるし、まあ大体ギリギリで間に合う。

・割りと空いている

アジャイル旅行での行動パターンはトリッキーになりがちなので、結果的に人が少ない場所や時間帯を選択していることになり、待ち時間が発生しにくい。またあまりにも長い行列を見たら、その時点で予定を切り替えることもある。

・バックアッププランを用意

ギリギリで行動できる心理として、バックアッププランのイメージが持てていることが重要である。もし遅れて予定が狂ったとしても、他のプランに切り替えて楽しむ自信があればぎりぎり行動でOKとなる。また、「まあ遅れてもなんとかなるでしょ」という楽観的スタンスがなにより重要である。

・少人数で行動

事前に慎重に見通しを立てておきたいタイプの人は多い。そういう人とアジャイル旅行をすると心配で楽しめないという意見も聞いたりする(そう言いつつ実は楽しんでる気もするが・・・)。なるべく1人で行動するか、2,3名の同じ考えを持った人と行動したい。

・スリルも楽しい

アジャイル旅行自体が知力と体力と資金を投じてスリルを味わう知的冒険ゲームと捉えてみよう。実際にギリギリで行動したりトラブルに遭遇したりしながらもスムーズな旅行を体現できた時は大いに達成感を感じる。失敗しても誰に迷惑がかかるわけではない。アジャイル旅行はそれ自体がゲームだ。

■コスト対効果について

アジャイル旅行はツアー旅行より少しお金がかかるのは事実である。
今回のスキー旅行も「贅沢にお金を使って満足度を上げているだけ」という批判も想定されるので、ここではコストについて整理しておく。

・今回かかった料金は下記の通り。

東京×盛岡の新幹線往復 14,700円✖︎2
盛岡駅から往復バスとリフト券 5,500円
レンタル1式 3,400円
安比高原駅から盛岡駅の電車 1,150円
飲食等雑費3,000円

42,450円
—————

コストを考えるにはアジャイル旅行と格安バスツアーと比較するべきだが、
岩手県の安比高原の場合、そもそも遠くて東京からの日帰りのツアーが無いため比較が困難である。(だからこそ土日でも空いているのだ)

そこで、もし新潟県の苗場に行った場合のツアー旅行とアジャイル旅行で比較をしてみた

▼格安バスツアーの場合

<日程>
6:00 自宅を出発
6:30 新宿に集合・バス出発
10:30 苗場着、スキー開始
17:30 スキー終了。帰りのバス出発
21:00 新宿で解散

<コスト>
ツアー料金 12,000円
飲食等雑費 3,000円

15,000円
—————

#キャンセル料は当日50% 前日40%

▼アジャイル旅行の場合

<日程>
8:40 自宅を出発
9:20 東京駅から越後湯沢へ新幹線
11:08 越後湯沢到着
11:30 越後湯沢から苗場へのバス
12:09 苗場到着 スキーやランチや温泉
17:05 苗場出発 越後湯沢へのバス
17:48 越後湯沢到着
18:00 現地の居酒屋等で名産を味わう
19:00 越後湯沢から東京への新幹線
20:12 東京着
21:00 自宅着

<コスト>
新幹線で越後湯沢の往復 12,300円
越後湯沢から苗場のバス往復 1,320円
リフト5時間券 4,500円
レンタルセット 5,000円
飲食等雑費 3,000円

26,120円
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#そもそも苗場はかなり混んでいるので長野のどこか空いてるスキー場を探すはずだが、単純に金額を比較するため苗場で比較
#ちなみに5日前までに新幹線とスキーのパックツアーを申し込むと上記から5000円程度割引で同じ体験ができるが、5日前予約ではアジャイルではないので検討せず
#アジャイル旅行=新幹線ではない、行き先や旅行によって今回の最適な移動手段が新幹線だっただけ。マイカーの場合、一人なら新幹線と同程度のコストになる。4人でマイカーの場合は、バスツアーと同額程度まで圧縮されるが、人数が多いため、アジャイル旅行では無くなってしまう可能性が高い。

格安ツアーとアジャイル旅行の比較

格安バスツアーでスキー 15,000円
アジャイル旅行でスキー 26,120円
アジャイル旅行は約1万円、74%のコストアップである。

#格安バスツアーはかなり安いので、普段の体感的にはアジャイル方式によるコストアップは50%以内には収まる印象ではある
#本来は新幹線の5日前までの5000円割引パックと比較するべきかもしれない。その場合アジャイル旅行は23%のアップになる

まとめると、日帰りスキーの場合、アジャイル旅行は約1万円のコストアップとなる。
論点はその1万円の対価として得られる下記のようなメリットが、妥当かどうかである。

  • 当日の数ある選択肢の中で選べる気軽さ
  • 早起き不要、新幹線でらくらく移動の気楽さ
  • 天候や体調や気分が良ければ行けばいい安心感
  • 出発と帰宅の時間を自由に出来る柔軟さ
  • キャンセル代や予定に縛られない自由さ
  • 行列など無駄な時間が発生しにくい効率感
  • 当日現場で柔軟に予定を変更していける包容力
  • 当日したいことを見つけたら飛びつける可能性
  • 当日のスリルや冒険感の楽しみ

人によっても旅行によってもケースバイケースではあるとは思うが、検討の余地は十分にあるのでは無いだろうか?お金をかけて満足度を上げているということになるが、満足度が上がった分、行く回数を減らしても良い。1回のアジャイル旅行が、2回分の格安バスツアーよりも満足度が上回るのなら、1回でいいのでは無いだろうか。4万の岩手への日帰り旅行が、4万の苗場1泊2日の満足度を上回るなら、日帰りでもいいのでは無いだろうか。

事前予約の格安ツアーは、本質的には未来の自由度を犠牲にすることの対価として値引きを享受できるという取引である。格安バスツアーの安全性についても疑問視されつつある昨今、料金の安さだけを追求して様々な代償を払うよりも、多少料金が高くなってもそれ以上の満足度を得られるのであればむしろ得をしたという発想を持つのはいかがだろうか?

ソフトウェアの世界には富豪的解決という言葉がある。コストを節約するために大きな人的労力をかけるよりも、コストはあまり意識せずその分の労力が節約きれば良しとする発想だ。
お金は全てではない。数ある属性の1つでしかない。お金だけを意識してその他の多くの人と同じような行動をとるよりも、自由人たるエンジニアは富豪的発想を持ち少しだけ多くお金を払うことでそれ以上の満足を追求するような生き方をしてみよう。

■最後に

僕がアジャイル旅行を始めたのはスマートフォンを持ってからである。アジャイル旅行はスマートフォンを使うことで大きな力を発揮する。

普段からエンジニアとしても社長としても忙しい生活の中で、土日も仕事をする時間に使いたかったりするので、休暇に使える時間が限られているからこそたまの休暇には通常の数倍以上の満足度を得ておきたいというニーズから、満足度を高めるための様々な工夫を追求した結果アジャイル旅行のスタイルが確立された(そんなに大層なものでもないが笑)。

忙しかったとしても、企画や経営に関わるものとして休暇の中で得るレジャーの体験は重要であるし、たまに頭をリフレッシュするのも有効であり、仕事のレベルをよりアップしていくためにも適度な休暇は必須である。

これまでアジャイル旅行のスタイルで、北海道から沖縄まで日本中を旅してきており、また海外もアジア、中東、ヨーロッパ、北米などさまざまな場所をほぼノープランで現地入りしてから計画を立てるスタイルで旅してきた。

ノープランゆえに例えばパレスチナで知り合った現地人と死海に浮かぶ日帰り旅行にでかけたり、ローマの年越しで街中で一斉に上がる感動的な花火を丘から一望した後に、現地の若者によるシャンパンの乾杯ラッシュに巻き込まれたり、ニューヨークで泊まった家の夫婦と仲良くなって家族ディナーに参加したりと、事前に計画していたら決して立ち会えなかっただろう楽しい体験を得ることが出来た。

一人で旅行して寂しくないのかと思われるかもしれないが、社長をやっていると毎日のように知り合いや仲間が増えていき、皆でワイワイ活動する幸福は仕事を通して十分に体感しているので、休暇はなるべく1人の時間が欲しくなるものである。

旅行のスタイルは技術の進歩により多様化していくはずである。
僕と同じように仕事で忙しい人や自由人を志すエンジニアの皆さん、

アジャイル旅行、オススメです。

現代の侍、それはスーツアクターとSE #2

武士道とは死ぬことと見つけたり
〜「葉隠」より〜

日本には古来より武士道という思想があり、
大義のためには私情を廃し誠意を尽くすという真摯な価値観は、
日本人の美意識としてその中核を占め続けてきた。

それでは、伝統をおざなりに急速な発展を優先し続けてきたこの現代社会には、
今でもまだ武士道精神が現存していると言えるだろうか?

難しいところだが、今でもサムライジャパンなどと言ったりもするし、
るろうに剣心などを筆頭にサムライ映画の人気も高く、
何かしらサムライのニオイを感じとることは多い。

侍という「職業」はもちろん既に消滅しているが、
美意識としての「サムライ」は確かにまだ残っている気がする。

現代日本にて武士道精神を持つサムライ、
果たしてそれはいまどこに・・・?

と、前置きが長くなったが、ちょっと前に「インザヒーロー」という映画を見た。
「夢をかなえるゾウ」を世に出した有名ブロガーである水野敬也氏の脚本で、
前から注目している水野氏のブログで知ったのがきっかけだった。

この映画、一見してただの戦隊コメディ映画かと思いきや、
実際は実直なメッセージ性が込められたサムライの映画である。
(むしろエンタメよりもそっちに目的があるようにも思えるほど)

内容は戦隊ものヒーローのかぶりものをして、
ただひたすら危険なアクションをこなすというスーツアクターという職業のドラマで、
努力を続けても目立たず報われず、地味だけど真摯に生きている主人公が、
ハリウッド映画出演という大チャンス、しかし命がけの危険を伴うチャンスを前に、
日本スーツアクター界を背負って命がけで挑むというストーリーだ。

ここで、スーツアクターという生き方に武士道精神を重ねているのが面白い。
戦隊ものの被り物をしなければ表舞台に立つことが出来ないアクション俳優。
その自己犠牲の精神には、確かに武士道精神を感じることが出来る。
(ちなみに映画のパンフレットには武士道精神についての解説冊子がついていた)

この主人公の特徴は、

1. 日々鍛錬
2. 謙虚で誠実
3. 命をかける
4. 自己犠牲

といったものである。

またそれと対照させるかのように、現代的なキャラクターも登場する

1. 生意気な売れっ子若手俳優
2. 軽薄で拝金な実業家
3. エゴで厚顔なハリウッド監督

などなどである。

この映画以降、スーツアクターはもはやサムライにしか見えなくなり、
武士道精神の裏に日本人が忘れつつある大切なものを訴えかける傑作である。

 

・・・そして、もう一つここにサムライ的人種がある。それは、SEである。

システム開発プロジェクトはどれもこれも複雑難解で、
一説によれば失敗率は50%以上で、いわゆる「炎上」は日常茶飯事である。

SEはその炎上に最前線で向き合う職種である。
炎上の原因はすべてSEに押し付けられることが多い。

納期遅延、認識違い、品質問題、予算超過、サーバ負荷、法的問題、人的問題などなど、システムに関わる全ての問題の責任がSEに問われるケースが数多くある。

この背景には、ソフトウェアというものがまだ社会へ浸透する過程であり、
ソフトウェア開発プロセスに対する認識が不十分な現場が多いのではないかと推察される。

テレビに例えるとしたら、もし「笑っていいとも」で不快な思いをした場合、
クレーム電話をテレビを発売した「ソニー」に対して向けるような矛先違いが、
おそらく大昔は起きていたかもしれないが、今は誰もそんな間違えはしない。

しかしまだ歴史の浅いソフトウェア開発の現場では、多様な問題の責任が認識が不十分なままになんとなくSEに追求されることが多いのではないだろうか。
例えば納期遅延にしても、本当の原因をたどると仕様検討の甘さや予算見積の不備、デザイン決定の遅れなどSEではハンドリングできない部門に原因があることが多いが、納期遅延が発覚し炎上した時にボールを持っているのは往々にしてSEなのであり、罵声を浴びるのもSEなのである。

失敗したらSEの責任、成功するのが当たり前。
それ故にプロジェクトが成功してもSEの名声は得られず、
また黙々と次のプロジェクトの最前線へ配置されていく。

日本のSEとはそういう存在である。

SEとは何か、正確な定義は決まっていないと思う。SEを定義するのは難しい。
おそらく、SEとは職種のことでなく、「生き方」とも言えるものではないだろうか。
侍大将も家老も浪人もいずれもサムライである。家老や浪人は職種を指しており、サムライは生き方を指している。
同様に、SEは「システムに関わる難解な問題に最前線で向き合う生き方」を選んだエンジニアとも言えるかもしれない。

ちなみに、SEという職種は英語圏には存在せず、極めて日本的な存在である。
参考:「システムエンジニア」?なんじゃそりゃ|404 Blog Not Found

良きSEの特徴は、サムライやスーツアクターに通じるものがある。

1. 日々鍛錬
2. 謙虚で誠実
3. 命をかける
4. 自己犠牲

そう、カッコつけていえば、SEとは現代のサムライとして、武士道精神を継ぐものなのだ。
SEは確かに辛いシゴトではあるが、時代の最前線で求められている仕事として、世のSEはもっと誇りを感じてもいいとも思う。SEという職種の問題を指摘するだけなら簡単ではあるが、それでも世に必要とされているのであれば、やはり誰かがやらなければいけないのだ。

現代はIT革命の真っ最中、ライフスタイルは今でも矢継ぎ早に変革されていっている。
そんな激動の時代でSEが果たせる責任は大きい。
まだまだIT技術を熟知する人は少なく、正当な評価や支援は受けられない。

サムライという職種が暴力での統治から法による統治への変遷の過程で消滅していったように、
SEという職種も、新しい社会がソフトウェアに精通する過程で消滅する可能性すらある。

それでも、武士道精神を胸に、これを生涯の生き方にしようと決めた人達がいる。
それこそが現代のサムライエンジニア、そうSEではないだろうか。

思いのほか長く感傷的になってしまったが、
最後に武士道精神をよく表した一句を紹介して締めくくりたい。

 

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂
吉田松陰

 

現代風にアレンジすれば、下記のようになろう。

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ SE魂

人は書く #1

 
 
〜馬は走る〜
〜花は咲く〜
〜人は書く〜
〜自分自身になりたいが為に〜

と書いたのは夏目漱石らしいです。
 

20歳でプログラミングの仕事を始めてから14年間、一心不乱にソフトウェア開発に打ち込んできましたが、ときには普段考えていることを整理したり、世間に発信してみることも面白いかなと思い、ひとつここに雑記をしたためていくことにしました。

どうせやるなら千回ぐらいは続けてやるぞという挑戦の記録の意も込めて、
SE千記(せんき)と名付けてみましたが、そこまで続く確証はありません笑。

日常業務も全力投球なので、社長業を優先しながらも、
こちらのほうは清水のごとく、ささやかに続けてみることにします。

まだまだ小さい会社の小さい社長によるささやかな発信ではあるけど、
いつか誰かに何かが届ことを祈りつつ、

SE千記、はじまり、はじまり。